伊藤道郎

伊藤 道郎
いとう みちお
ファイル:Michio Ito.jpg
誕生日 1893年4月13日
死亡日 1961年11月6日
死亡年齢 68歳
出身地 東京府
国籍 日本
職業 舞踊家・振付家
活動期間 1910年代〜1950年代
代表的な実績 欧米での舞踊活動、イェイツ『鷹の井戸』振付


概要[編集]

伊藤道郎(いとう みちお、1893年〈明治26年〉4月13日 - 1961年〈昭和36年〉11月6日)とは、20世紀前半に欧米を股にかけて活躍した日本の舞踊家・振付家。ロンドン、ニューヨーク、ハリウッドを舞台に独自のモダンダンスを展開した国際的な先駆者で、舞台美術家の伊藤熹朔と新劇の演出家千田是也は実の弟にあたる。異国で格闘しながら日本の身体表現を世界へ問うた、稀有なコスモポリタンであったらしい。

渡欧と欧州での研鑽[編集]

東京の建築家・伊藤為吉の長男として生まれた道郎は、音楽を志して渡欧し、ドイツでエミール・ジャック=ダルクローズのリトミック(律動体操)を学んだ。第一次世界大戦の勃発により1914年にロンドンへ移り、そこで詩人W・B・イェイツや劇作家エズラ・パウンドら前衛芸術家たちと交わった。イェイツの能に着想を得た劇『鷹の井戸』では、道郎が鷹の精を踊って大きな反響を呼んだという。

アメリカでの活動[編集]

1916年にニューヨークへ渡った道郎は、ブロードウェイのミュージカルやレヴューの振付を手がけ、舞踊家として確固たる地位を築いた。1929年にはハリウッドに自身のスタジオを開き、ロサンゼルスを拠点に1941年まで、ダンサー・振付家・芸術監督として活動するとともに後進の指導にあたった。東洋の身体感覚と西洋のモダンダンスを融合させたその舞踊は、アメリカのダンス史にも名を刻んでいる。

戦争と帰国[編集]

1941年、真珠湾攻撃の直後、道郎は日系人としてスパイの嫌疑をかけられ、フォート・ミズーラなど複数の収容所に抑留された。家族とも引き離される苦難の歳月を経て、戦後は日本に帰国。日本の舞踊界・演劇界の橋渡し役として活動を続けた。東京オリンピック(1964年)の演出構想にも関わったが、開催を見ることなく1961年に没した。

伊藤三兄弟[編集]

道郎を長兄とする伊藤家は芸術一家として知られる。すぐ下の弟が舞台美術の先駆者伊藤熹朔、末弟が俳優座を創立した演出家千田是也(本名・伊藤圀夫)である。演劇・舞踊・舞台美術それぞれの分野で時代を切り拓いた三兄弟は、近代日本の舞台芸術を語るうえで欠かせない存在となっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]