Young K
よんけい.jpg
基本情報
本名 カン・ヨンヒョン
誕生日 1993年12月19日
年齢 30歳
国籍 大韓民国
身長 / 体重 180 cm / 68 kg
血液型 B型
事務所 JYPエンターテイメント
所属グループ DAY6
公式サイト TwitterInstagram



見出し

概要[編集]

2015年9月7日JYPエンターテイメント所属でデビューしたバンドDAY6、ユニットEven of Dayのメンバー。ポジションはボーカルとラップ、そしてベース。

チームのメイン作詞家として、ほぼすべての曲を作詞しており、作曲にもいつも携わっているメンバーだ。ユニットであるEven of Dayでは、ベースと共にエレキギターも担当している。

2013年デビュー前にWho is Next? に出演した際の英語の発音と、言語能力、公認英語試験スコアが良く、韓国系カナダ人と誤解する人々が多かった。しかしカナダのトロントで学生時代を過ごした韓国人留学生で、滞在期間が4年であった為であった。流暢な英語力で注目を集めた。

この他にも作詞家とラジオの司会者として頭角を現したり、アイドル初のカトゥーザで米陸軍「Best Warrior Competition」優勝者でも話題になった。

デビュー前[編集]

JYP入社[編集]

・ソウルで生まれ、小学校4年生から小学校卒業まではカナダの バンクーバーで、中学校1年生の時からはカナダのトロントに4年間留学した。最初は約1年間、寮学校に通い、一般公立学校に転校し、韓国系カナダ人家庭で約3年間ホームステイを行った。 中学3年生の時学芸会に出て、Hedleyというカナダバンドの「For The Nights I Can't Remember」という曲を歌った。この時が本人が覚えている、舞台で一人で歌を歌った最初の瞬間だという。驚くべきことに、当時の映像が残っている。

・その後、友人と共にグループ「3rd Degree」を結成して活動した。中学3年生の時に初めてアコースティックギターで作った曲のタイトルは「Day Dreaming」。以来、2人の友達をさらに集めて「Kiss Me Ever So Softly」という名前のバンドを作ってライブ公演をしてYouTubeに映像をアップロードした。バンドでのポジションはボーカル。

・そんな2010年、韓国ウェブサイトでJYPエンターテイメントのボーカリストUCCオーディション公告を偶然見て、バンドKMESSの映像を提出したところ合格してしまった。ところが映像を提出する際、連絡先を韓国にいた両親の電話番号で書いて両親に合格連絡が行ったという。 合格したがカナダにいて当時JYP旧社屋があった清潭で行われるファイナルオーディションを見に行くことが出来ないと連絡すると、JYP側がヨンケイに直接会いにカナダに行ったという。グローバルキャスティングだったわけだ。トロントのあるホテルカンファレンスルームのような場所でギターを弾いてMaroon5の「Sunday Morning」を歌った。パク・ジニョンはこれから11年後にヨンケイが進行するラジオ出演し、この時の映像がまだ記憶に残っていると明らかにした。

・このオーディションで最後に歌った歌が2AMの「この歌」だった。オーディション前日の夜、合格できるか心配になって韓国にいる両親に電話をした。自ら心を掴むと同時に、両親にも歌手になりたいという心を伝えるために、電話通話中に「この歌」を歌ったという。「あげるのはこの曲しかない」という歌詞のように、自分の声で両親を安心させてあげたかったと話す。

・その後、最終合格して韓国に帰国するようになった。 トロントに直接行ってヨンケイをキャスティングした人がすぐにワンダーガールズソンミ、2AMジンウン、2PMニックン、TWICEジョンヨン・サナ・ジヒョ・ツウィなどをキャスティングしてトレーニングしたJYP新人開発チーム長のイ・ジヨンであるとわかった。

・ヨンケイがトロントで留学生活をしていたので、両親もカナダに移住する準備をしたが、ヨンケイがJYP練習生になって韓国に戻ることになった。しかし、それでも両親は元々の予定通りカナダに移住をしたという。したがって、ヨンケイはすぐにJYP練習生の宿舎に入ることになった。現在、実家はカナダのトロントにある。

練習生[編集]

・練習生で立った初のショーケースで、Green Dayの「Basket Case」を歌ったという。

・バンドチームとダンスチームをずっと行き来していたが、ダンスチームの時はウォンピルと共に所属していた。2011年に〈ドリームハイ〉、2012年〈ドリームハイ2〉でダンスチームの練習生たちと一緒にバックダンサーとして出演したり、JYPがニューヨークにダンス研修まで送ってくれた程ダンスに才能があったようだ。GOT7のマーク、ジャクソン、ベンベン、ユギョムで構成された「ラップアクロバティックチーム」に入ったり、GOT7デビュー前にしばらく合流したりもした。

・JYP練習生の中でも最も上位段階が教育生だが、ヨンケイは練習生を始めて1年で教育生になったという。正確にはJYP基本振付を通過した日に教育生になったと。JYPから教育生等級まで上がったと知られている人は、ヨンケイを含めて5人だけだ。

・教育生について公式に知られていることはないが、デビューチームを構成する前からすでにデビューが確実視される練習生だ。ここにも述べられているように、JYPは元々練習生を多く選抜する方なのに、そのうち教育生になるということは会社社長のパク・ジニョンが知っているほど会社内でも認知のある練習生になることを意味する。また、教育生になれば外国語など特別レッスンを追加でさらに受けることができ、他の練習生たちに教えることもできるという。この他にも会社で行うレッスンの他に、別に本人が望むレッスンがあれば、コンファームを受けて学べるように支援してくれる。

・練習生の時に学んだダンスジャンルとしては、リアキムに学んだポップピンのほか、ロッキング、ハウス、アクロバティック、クランプ、現代舞踊などがある。

・長い時間一緒に練習してきた親しい弟のような存在であるStray KidsメンバーのBang Chanの言葉によれば、初めてヨンケイを見たのが地下練習室でダンスレッスンを受けていた時でしたが、エースのオーラが感じられたという。デビュー前JYP練習生でもあったペンタゴンのキノも男子練習生たちの中でボーカル王であり、ダンスも上手く、Usherの'DJ Got Us Fallin' In Love'に合わせて踊った姿を覚えているという。一緒に練習した同期であるTWICEのメンバーたちもヨンケイが練習生の時、ボーカルとダンス全てが上手くてどちらをもっと上手くするか見にくいほどだったと明らかにした。JYPで一緒に長い間練習していたチョンソミもヨンケイが練習生の時に踊りをとても上手に踊ったとラジオで何度も言及したことがある。 このように練習生の時から実力で認められたのは、生まれつきの才能もあっただろうが、努力もあったためと思われる。練習生の時に数ヶ月間はシャワーを浴びる為だけに宿舎に行き、その他は一日中練習室にいたという。退勤せずに練習室で寝ていたと。途中で自分は本当に歌手になりたいのか悩んだ時もあったが、やると決めたら最後までやらなければいけない性格だったので頑張り続けていましたが、体調を崩す気がしたという。

・JYP練習生の宿舎の世帯主だった。だからかAB6IXのイ・デフィがデビュー前JYP練習生だったとき一緒に区役所に行って登録したりした。

フリーデビュー[編集]

・2013年9月13日放送されたYGエンターテイメントサバイバルプログラムWIN: Who is Next? で同じJYP練習生のジャクソンと共にラップバトルメンバー、そしてDAY6メンバーと歌バトルメンバーとして出演した。

・元々活動名は本名の「ヨンヒョン」だったが、2015年6月11日に「Young K」に変えた。DAY6でデビューする前、「こんなことならそうではない」、「SKY HIGH」などの曲にラップフィーチャリングで参加したが、初めての発売時には「ヨンヒョン」と表記されていた。活動名変更により「Young K」に変わった。「ヨンヒョン」は発音しにくく、又「ブライアン」を使うと既に活動している有名な歌手がいた為結局ヨンヒョンのヨンとカン・ヨンヒョンのカンのKを合わせて「Young K」という活動名をつけたようだ。他の芸名候補も多かったが、その中で覚えているのはないと。

・初めて活動名が知られた時は、同じ所属事務所であるJun.Kと名前が似ているし、からかわりやすい芸名だとファンの不満が多かったが、今はニックネームをするとき〜'ケイ'だけ付ければ良いのでそのような意見は消えたという。しかし、長年の練習生期間中に「Brian」と呼ばれていた為、]デビュー後も周りの人々はヨンケイとよく呼んでいなかった。デビュー初めに「Brian」と呼ぶと毎回「Young K」と訂正したが、最近はただ楽に呼んでいるという。

ポジション[編集]

ボーカル&ラップ[編集]

・DAY6でボーカルとラップを務めている。拍子を自由自在に遊び、面白いパンチラインの活用が際立つ。

・ボーカルの実力も絶倫した方なのに、歌声と地声、低音と高音を滑らかに行き来する広い音域帯が特徴だ。

・DAY6の曲は全て主に3オクターブ序盤まで上がる場合が多いが、ライブでもいつも地声でスッキリして安定的に歌い上げる。また、高音域の音を出す時も音が小さくならず、声量をそのまま維持しながら歌うことができる。その為、和音やバックボーカルパートでも常に最も高音域を引き受けるが、やはりライブでも完璧に歌いこなす。

・だからといって、高音だけうまくいくわけではない。IDOL RADIOとDAY6のキス・ザ・ラジオのDJを引き継ぐほど元々生まれた声自体が良いほうで、普段の低く深い低音域の声に対する評価も高い。

・JYP入社前は澄んで柔らかい美声で、練習生の時にパク・ジニョンに「ボイスがスウィートだ」とコメントを受けたという。DAY6で活動中の現在は声も厚くなり、音に力が籠もっている感じだ。他のメンバーもそうだが練習生期間中に変わったようだ。

・2020年にボーカルレッスンを受けている。だからかデビュー初めに比べて音域も広くなり、音程、声量、呼吸ともに確実に成長したことが確認できる。ライブに起伏がない方であり、いつどこで突然呼んでも間違える姿をほとんど見せない。さらに風邪と相次ぐ公演のため公演直前まで声がまったく出てこなかった時も舞台にだけ上がれば大丈夫だったと。

・ヨンケイを練習生の時から10年以上指導していたボーカルトレーナーは、ヨンケイのボーカルに対してテクニックが多く、パワーもあるのに繊細だと話した。またボーカルトレーナーとして長く教えてみると、レッスン生たちの成長がある程度の規模になる方だが、ヨンケイは常にその予想を破って先生を驚かせる弟子だと付け加えた。

・実はデビューアルバムから2枚目のミニアルバムまでだけでもラップとボーカルの比重が同じで、自らを紹介する時も「ラップとベースを引き受けている」というほどラップをたくさんしていたが、だからといってボーカルの実力が足りなかったのではなかった。

・デビュー後もボーカルレッスンと着実な努力の結果により、今ラップよりボーカルの比重がはるかに大きくなった。本人も今は自らを完全な「ボーカリスト」として認識しているようだ。

・音色が多様なので曲ごとに自由自在に変わるボーカルを確認してみるのも面白い。元々はポップがよく似合うボーカルだったが'覆面歌王'出演以後ボーカルにもっと関心を持ち始め、ボーカルレッスンを通じて歌謡練習をたくさんしたようだ。それから始まるようになったプロジェクトがYoung Kのカバープロジェクトである〈YOUNG ONE〉だ。

・ポルキムはヨンケイのボーカルについて「私が望んでいたボーカルのトーンのようなものをヨンケイがすでに持っていた」とし、一緒に「ジプドルが」という曲を歌うときうらやましかったと明らかにした。ヨンケイのように清涼で涼しいボーカルを持ちたかったと。

ベース[編集]

・DAY6でのポジションはベース。2012年の初めからベースを始めたが、ベースが何かも知らなかったという。バンドチームにはベースが必要だとしてギターのように学び始めた。それから他のメンバーたちがエレクを務めるようになり、ベースでポジションが固定された。

・以前までダンスチームにいたし、楽器もギター中心に扱っていたので他のメンバーたちが宿舎に戻った後も一人残ってベースを練習したという。ベースはリズム感が重要であった。初めの3ヶ月、メトロノームに合わせてひたすら練習だった為、序盤はベースがとても退屈で嫌だったという。

・ベースを使って演奏した最初の曲がJackson 5の「I want you back」という。初曲からベースがとても難しく、沢山間違っていたと。ところが、ベースを弾きながら歌も歌わなければならず、又テンポを合わせながら他の楽器と調和もしなければならず、とても大変だったという。この時メンバー同士で「一番よく間違った人がご飯」を賭けたが、この曲はベースが難しくてみんなヨンケイが負けることを知って先に賭けようとしたのだという。この時生まれて初めて手に二重水疱ができたと話す。

・今はベースが好きになったという。ベースの長所と短所を尋ねられると、ベースは他の楽器に音楽を載せて曲を完成させるのを助ける「基本枠」であることが長所、良いスピーカー環境でなければ聞こえないというのが短所だった。

・上記のようにベースを弾いて歌うのはとても難しいことだ。ベースはドラムのように曲の全体的なリズムを演じるので、曲のメロディーラインとは別の音を演奏しなければならない。したがって、指は曲の全体的なリズムとビートに合わせてベースを弾き、ボーカルはベースとは異なるメロディーラインとビートに合わせて歌わなければならない。したがって、ベーシストが歌うのはドラマーのように容易ではない。

・デビュー初めにはベースストラップを短くしていたが、その後は長くするようになる。ストラップを長くすればする程打つのが難しくなるが、それがまたカッコイイから長くすると話す。

・これまでベース5台を使ってきた。それぞれ愛称はジェーン、リサ、タイソン、ゴールディ、アップ。ジェーンはデビュー初めにメインで使っていたベースで、この時リサも使っていたが何度か使ったのみだった。その後、2016年4月29日LIVE CLUB DAYでタイソンを初公開した。次にFender Precision Bassのゴールディは2017年6月2日、「必ず笑う」のカムバックを控えて披露した。2018年「私の楽器を紹介します」でゴールディに定着したと明らかにした。名前がゴールディな理由は金色だから。現在までもメインとしてゴールディを使用しており、タイソンは現在ほとんど撮影用にしか使っていないという。

プロデュース[編集]

作詞[編集]

・DAY6のデビューアルバムから作詞、作曲に参加した。特に2017年、Every DAY6 Projectを起点にほぼ単独作詞家として名前が記載されるようになり、チーム内でメインの作詞家になった。

・Every DAY6 Project 25曲のうち、ウォンピルが作詞した「努力してみます」を除いて全曲作詞に参加した。

・『The Book of Us』シリーズのミニアルバム『Gravity』、〈Entropy〉、〈The Demon〉、〈Gluon〉、〈Negentropy〉でもソングキャンプの時、メンバーが一人ずつそれぞれ他の作曲家と作業することになり、参加できなかった4曲を除く残りのすべての曲に作詞および作曲として参加した。

・Young Kが単独作詞したDAY6の代表曲である可愛い歌詞で確認できるように、DAY6特有の淡白だが共感される歌詞がヨンケイの手から産まれたと見ることができる。

・2020年からは本格的に外部作詞活動も活発に繰り広げられている。

作曲[編集]

・作詞と同様にDAY6の曲の大多数の作曲にも参加した。作詞家として注目されるようになり、相対的に言及が少なくなったが、アルバムクレジットを見ればヨンケイが参加していない曲がほとんどないほど作曲もしている。

・作曲に参加した曲は、ほとんど本人が作詞まで一緒にした場合が多いため、上記の作詞リストが作曲リストとほぼ類似している。

・同じチームメンバーであるDAY6ウォンピルは2017年のallureインタビューで曲を作業する際にインスピレーションを最も多く受けるメンバーとしてヨンケイを挙げた。理由はアイデアが多いから。また、2017年のGRAZIAインタビューでも曲を作業する際、最も積極的なメンバーがヨンケイだと語った。

・デビューの初めから一緒に作業していた作曲家はヨンケイに対して「(曲をそんなにたくさん書いたのに)まだ曲をよく使って不思議だ」と話した。

特徴[編集]

ビジュアル[編集]

・目が細くて目尾が上がったキツネに似ていると言われ、鋭い印象を持ったせいで無表情を維持しているときはシックで冷たく見える。

・しかし、笑うときは印象が変わる。長いまつげと子犬のように丸く浮かぶ目、上がる口尾もポイント。また、笑うときに見えるウサギのように大きな前歯のおかげで、デデンネに似ているとして「ケデンネ」と呼ばれることもある。

・脚々と爽やかな横顎線と黒く濃い眉毛によって鮮明に見える印象を持ったが、普段の表情が非常に多様な方だから眉毛がどんどん下がってまた可愛くなる。また、首が長くて細くて首の最後までボタンを埋めても苦しく見えない。

・実際DAY6の公式キャラクターであるDENIMALZでもキツネ「KE」と象徴される。デニマルズを初めて見る人も「KE」がヨンケイであることはすぐに分かるほど。キツネに似ているという言葉を最も多く聞いてファンサイン会でもキツネのヘッドバンドをたくさん受け取る。

・顔にホクロが多い。

・そして右耳たぶにホクロが2つあるのが特徴だ。ホクロがピアスしたように並んでいてファンたちは耳だけ見てもヨンケイであることに気づくほど。

・キツネの他にも柴犬や猫に似ているという意見も多い。

言語能力[編集]

・流暢な英語力でデビュー前WIN: Who is Next? 番組でもデビュー初めは韓国人ではなく、カナダ人と誤解する人々が多かった。英語が母国語である人々も発音がネイティブで韓国人ではないと思ったと言う。しかし、先に述べたように、中高校生の時、カナダのトロントに4年ほど住んで韓国に戻ってきた留学生出身だ。

・今でも海外ファンがいる海外ツアーやV LIVE、Instagramなどでは英語でも疎通している。

・東国大学経営学科も外国語特技者選考(英語)で入学したものである。

・2020年07月14日、V LIVEでTOEICは990点満点中970点、TOEFLは120点満点中116点と話した。

・その為、練習生の頃に外国人練習生と韓国人練習生の間で通訳担当だったという。

・現在はカナダを去ってからかなり経ったので、英語を忘れないために意識的に英語を書く環境を作ろうとしている。周辺で英語が母国語の人々に英語で話そうと頼んだという。

・英語だけでなく他の外国語にも興味が多い方だ。5カ国語が目標だと言ったこともあり、デビュー前練習生の時、教育生になれば外国語を一つ学ぶことができるが、その時中国語レッスンを受けてHSK会話資格証中級を取得した。

・日本語は練習生の時からレッスンを受け、デビューしても個人的にレッスンを続けていたという。以後、ドウンと一緒にアニメを見ながら言語感覚を失わないようにしているそうだ。日本語の教養授業を受け、A+を受けたという学生の後期があった。だからか日本活動時は主力メンバーとして活躍した。また、日本語で一人で作詞までした。

著作権[編集]

・2022年2月2日、韓国音楽著作権協会に登録された曲だけで総154曲だ。それ以外にも、韓国以外でのアルバムの作曲作詞作業等も含める。デビューしてから6年で150曲余を越える曲があり、単純計算した時、1年に少なくとも25曲以上程。つまり、月に2曲以上ずつ発売している計算になる。

楽器[編集]

・現在チームで務めているベースの他にも扱える楽器が多い。

・テナーサックス:カナダ、トロントにいるときに約3〜4年ほど学んだという。 「覆面歌王」に出て演奏したりもした。

・ヴァイオリン:4年ほど学んだ。小学校の卒業写真を見るとヴァイオリンを持っている。

・ドラム:<2019 DAY6 FAN MEETING 'Scentographer'>で初めて披露した。ファンミーティングのステージでメンバーたちと楽器チェンジのために新しく学んだことで、メンバードウンが練習映像を上げていた。

・アコースティックギター:カナダの生活の中で歌うために学んだと推定されている。デビュー後は2016年ラジオゲストのときに主に演奏した。その後、2020年にNAVER NOWで見られるオーディオショーである「音楽が集まる」シーズン2でしばしば演奏した。

・エレクトリックギター:デビュー前にギターとベースの練習を一緒にしたので、その時学んだと推定される。

・鍵盤:2020年下半期に鍵盤レッスンを始めたという。 2020年12月19日に公開された「永遠冬の子供映像」で鍵盤を弾く姿を確認することができる。 2016年Soundtrackで「sofa」をカバーした時も演奏した。

・トランペット:冗談ではなく真剣に上手に演奏する。本人の唯一の個人技だという。ところが個人技としてだけではなく、実際に歌う伴奏として使うこともある。

余談[編集]

逸話[編集]

・練習生の時にダンスが上手く、GOT7構成当時メンバーに選ばれたが、もともと良くなかった左膝がダンスの練習を重ねるうちにさらに悪くなってしまう。ほぼ二日に一度病院に行くほどだったと。結局、本人の道ではないと考え、ダンスは諦めた。それでも踊るのが好きだ。ただ、以前よりダンスの実力は落ちたと話す。真剣にダンスレッスンを受けたのが3〜4年前で、それからは座ってベースを打つことに専念したからだ。

・IDOL RADIO DJを務めることになり、ゲストにほぼ毎週振り付けを学ぶことになる。この時付けられたニックネームがダンシングケイ。一度振付師の方々がゲストとして出演した際に久しぶりにダンスレッスンをあらかじめ受けてきた。その時のLOVE SHOTのダンス映像、ハードキャリーのダンス映像が話題になった。 

・中学生と高校生の時にバスケットボールを頑張った。正確にはトロント留学生だった7年生の時にバスケットボールを始めたという。その当時、他の友達に比べて背の高い方だった。毎晩一人で体育館に行ってドリブル、シューティングなどの練習を続けたという。結局、そのシーズンの終わりにMVPに選ばれた。将来の夢の中にバスケットボール選手もあったという。

・デビュー序盤には音楽以外の夢で「演技」を挙げた。実際に2年ほどトレーニングを受けており、2016年にはウェブドラマ「君に触れるぞ」に特別出演したりもした。最近は演技よりも音楽にもっと集中しようとしているようだ。

・長い間黒髪で生きてきたため、デビュー後は色々な色に髪を染めた。ただ、この世にあるすべての色で染色をしてみた後、黒髪に戻るだろうと答えた。やってみたい色がまだ沢山あるという。そんな2017年8月22日ASCで黒髪をした姿で現れた。そして2019年に「1ページになれるように」活動の時、久しぶりに染色した。 以後2020年「波が終わるところまで」カムバックを控えてアッシュバイオレット色に染色した。

・体つきがとても良い。台湾のショーケースの際に、テレビ番組で自身の腹筋を公開したこともある。メンバーたちの話によると、夜明け3時ごろに突然起き上がり、デビュー初めから朝早く起きてトレーニングをしていたが、2017年Every DAY6 Projectからは学業と曲作業の両立が大変であまりトレーニングが出来ていないと。代わりに朝早く起きて勉強をしていた。以後は忙しいスケジュールや曲作業に専念するため運動と遠ざかったようだったが、2021年入隊した後再び運動を趣味にしたようだ。軍生活中の目標は元気な体づくりだと。

・デビュー初めは重要な公演がある前に無条件に風邪をひいたりした。しかし、不思議なことに、自分は公演の前日やその直前には完治し、逆に他のメンバーたちは風邪をうつされて苦労していると。最近は風邪にあまりかからなくなったようだ。

・録音するときにエキサイティングな部分やラップでは踊りながら録音する癖がある。録音をとても楽しくするためだそうだ。

・練習生の時よりデビューした後がずっと大変だったという。練習生の時は(練習生として)保護されたり、自分にはその中が全部だったが、振り返ってみると練習生当時は知らなかった世界がもっと多いことを知ることになったし、それによってより多くのことを知らなければならないからだ。

・バンクーバーに住んでいた小学校4年生の時、水泳をとても沢山していたという。それでその当時ライフガードの資格を取ったと。

・小学校5-6年生の時にスピードスケートを学んだという。とても頑張り、大会にも出場した。ところが大会に出た際に先頭で走っていた時、速度を上げて壁にぶつかったという。以来、スケートに対する意欲が消えたと話した。

・幼い頃にスカッシュを学んだことがある。

・幼い頃に声楽を学んだという。後に両親から聞いた話に話だが、その時声楽先生にもう少し続けさせてみるのはどうかと言われたと。幼い頃から音楽の才能があったようだ。〈覆面歌王〉に出演した時も、ポップフェラ歌手カイが「小学校の時から声楽を勉強したがコンクールに出ると審査員たちが「最もきれいで歌が最高の歌だ」という評価を常にしてくれるだろう」とまだ正体を公開していない状態で歌った歌を評価した。また、歌の初めの小節を聞くやいなやポップフェラを聞くような感じがしたとし、きれいで澄んだ声楽的な発声を学んだようだという評価もあった。

・テコンドーは黒帯までしたし、カンフーを学んでみたという。

好み[編集]

・小学生までは主にクラシックを聞いていたという。だからか当時韓国で流行っていた歌について話すとよく分からない。以後カナダに留学をして更に韓国の音楽とは遠くなるようになったようだ。カナダではパンクロック、ヒップホップ、ブリットポップ中心に聞いた。

・デビュー初めはヒップホップが好きだった。小学校6年生の時にダイナミックデュオの'履歴書'が好きでカラオケでも歌い、祖母が初めて買ってくれたジェンハイザーヘッドフォンで聞いたりもした。最初はその音楽がヒップホップなのか分からなかったが、知識人に教えてもらい、ヒップホップであることを知ったという。

・普段はクラシックやジャズジャンルをたくさん聴く。

・旅行が大好き、数少ない趣味の一つで、時間があればやりたいことでいつも旅行をすると話す。考えただけでも幸せな言葉で旅行を挙げた。練習生の時から行くところをあらかじめ考えずにバスターミナルで最も早く出発するチケットを買って即興旅行をしたことが多いという。済州島にもよく行った。デビュー後もスケジュールが空いたら国内旅行を頻繁に行ったという。

・子供の頃、家族と旅行にたくさん行って旅行が好きになったという。金曜日の夕方から日曜日まで国内および海外旅行を頻繁に行ったと。例えば土曜日にテレビを見て「ビビンバを食べたい」、「スキーに乗りたい」という話が出たらすぐに出発したという。国内では特に江原道に頻繁に行ったが、冬にはスキーに多く行ったと。だからかスキーもスノーボードもよく乗っているそうだ。

・済州島は練習生の時から、さらにはデビューしてからも旅行によく行ったという。宿は主にゲストハウスだったと。デビュー序盤はDAY6が放送活動をあまりしなかったため、人々がヨンケイの顔をよく知らなかったという。ゲストハウスで出会った人に情報をたくさん聞き、ヨンケイは運転免許を持っていないため、同行して車に乗せてもらったりもしたと。

・旅行に行く際にゲストハウスを好む理由は、練習生生活を長くしたり、韓国で学生時代を過ごした時間が少なくてこの業界芸能で働かない他人の話を聞く機会がなかったからだ。ところがゲストハウスに行けば、本当にいろいろな年齢の多様な仕事をする人たちと出会えるから好きだと。歌手をしなかったらマーケティングの仕事や証券会社に勤めたいと話す程である。この他にゲストハウスの所有者になってみたいと話したこともある。

・食べることが好きで、とても食べる。いつも食べることについて考えるという。夜明けにお腹が空いたら食べ、誰もいないところでチキンを3匹完食したいという希望がある。今の体つきを維持するのは、それだけ頑張って運動をして食べない時は確かに食べないからだ。実際に食べるだけで運動をしなかった時、体重がとても増えたそうだ。 ただし、辛い食べ物はほとんど食べられない。食べるとしゃっくりが出るそうだ。

・母が沸騰させた龍峰湯が好きで、台湾で就豆腐を食べたが嫌いではなかった。好き嫌いがほとんどなく、ドリアンも美味しく食べ、紅魚も本当に好きな食べ物の一つなのに、周辺に一緒に食べに行く人がいないので、あまり食べることが出来ないそうだ。

・食べることが好きな大食い家族だが、デザート派ではなく食事派だと。おやつは与えればよく食べるが、本人が買って食べないようだ。辛い食べ物と甘い食べ物の中から選ばなければならないとき、よく食べられない辛い食べ物を選ぶほどデザート側の甘い食べ物はあまり好きではない。メンバーが誕生日にチョコレートケーキをあげた時も驚くべきことにフォークがあまり動かないことが確認出来る。代わりに果物の甘さが好きだと。

・しかし、食べるのが好きだからといって食欲が多かったり、お腹がすいたときに敏感になる方ではない。食べたいものがあれば食べるし、お腹が空いても空いたまま我慢できるという。ただ食べる時にたくさん食べるスタイルなだけだと。だから活動を控えて管理する時はメンバーたちが驚くほど食べずにきちんと管理をする。

・食事する時は何も話さず、無言で食べる方だ。食べることに集中するタイプだ。

・コーヒーは無条件にアイスアメリカーノだけ飲む。味ではなく眠気を覚ますために飲むという。幼い頃から睡眠に弱いこともあり、活動と学業を並行していた時期には本当に文字通り眠る時間がほとんどなかったので、いつも数杯飲んだという。

・服や靴を長く大事に着る。カナダのトロントに住んでいた中学生の時から使っていたベルトを2020年にも着用していたり、2021年にも中学生の時の服がまだ残っていると話した。幼い時から転学もたくさんして地域や国まで頻繁に引っ越しして通暮らしたので、もともとは荷物は少なかったという。したがって他のものはよく捨てるのに服だけ長く置いて着るようだ。また、いつでもどこでも私服を着る時は同じモデルのコンバースだけ履き続ける。誕生日プレゼントで同じコンバースをもらったのに元の引き裂かれたコンバースをずっと履いていた。2021年6月22日、いよいよ新しいコンバースを履いてファンたちの拍手を受けた。

・活動期ヘア-メイク-コーディネートをあまり気にしない。スタッフが既にその分野の専門家であるため、本人は関与せず、ただ準備してくれたものを受け取ると。

・練習生時代に研修で行ったニューヨークで出会ったダンストレーナーのブレスレットに感銘を受け、デビュー初めには華やかなブレスレットをつけていた。2017年にはブレスレットもあまりつけなくなり、2018年以降はピアスを除いたアクセサリーをほとんどしなくなった。ただし、上で述べたとおり、活動期にスタイリストが準備してくれるものはつけていた。

・携帯電話はサムスンギャラクシーユーザーだ。作業するときに不便なうえにサムスンペイのため、今後もiPhoneに変えるつもりはないという。サムスンペイのおかげで財布を持たずに出かけることもあるという。だからといってApple製品を一切使わないわけではない。以前の曲作業用に使ったノートパソコンはMacBookだった。携帯電話もそれ以前はLG G3を使用していた。したがって、必ず特定のブランドにこだわるというよりは、その時使いやすい製品に決めるようだ。

・服や靴と同様に、物を長く使う方でもある。そもそも食べ物を除く何かを購入する行為に大きな興味を感じないよう。携帯電話も2018年から使っていたGalaxy S9+をまだ使っている。2019年2月、ヨーロッパ旅行の際に携帯電話をなくしてしまったが、新しいモデルに変えずに同じ機種のGalaxy S9+を再購入したという。2021年下半期ごろになると、携帯電話のバッテリーの減りが早すぎるので変えたいと話ていたが、まだ使えないほどではないので変えていない。

・幼い頃一番好きだったおとぎ話は「アラジン」だった。理由はOSTが好きだから。ジニーと友達になりたかったという。一日の間おとぎ話の主人公になれば「眠れる森の中の姫」の主人公になりたいと。理由は睡眠。

・寝る前に必ずする習慣3つは「熱いお湯でシャワーを浴びる」、「その日一日を振り返る」、「明日/未来を考えてみる」だ。

性格[編集]

・ファンたちはもちろん10年以上そばで見守ってきたメンバーも認めるほど熱さと誠実さを持ち合わせている。空白期にも休まず、様々なコンテンツを出し、「ケルミオンヌ」というニックネームがあるほど。

・特に2020年と2021年には空白期をほとんど感じられないほど休まず活動をした。アルバム活動を除いて2020年だけでも月2回YOUNG ONE、毎週YBC、毎日IDOL RADIO進行、出勤/退勤道ライブ、毎月個人デモ曲公開、毎週音楽が集まり進行及び出演、毎日DAY6のラジオの進行などがある。

・2021年には4月から9月まで6ヶ月ぶりに『The Book of Us: Negentropy - Chaos swallowed up in love』、『Right Through Me』、『Eternal』などミニアルバムを3枚も発売した。当然、全曲作詞および作曲に参加した。特にユニットEven of Dayの2枚目のミニアルバムカムバック時期に自身の初のソロデビューアルバムを準備しながら週4日生放送ラジオを進行し、ユニット自身のコンテンツ撮影までこなした。8月初め基準で3ヶ月間休日がほとんど一日もなかったと。だが、休まずに活動を続けることができ、幸運だと言った。

・この時期にはラジオの生放送を終えた夜12時にすぐにユニットカムバック音の事前録画に行き、2時まで行い、30分ですぐに荷物を準備し、夜明け4時に2泊3日に江原道で芸能コンテンツ撮影を行ったあと、江原道からソウルに戻ってすぐにラジオの録音と生放送の進行に行ったことがある。

・ユニットアルバムの活動が終わるやいなやソロアルバム撮影やユニットオンラインコンサートの準備や公演があり、途中で別のバラエティコンテンツ撮影のため地方に行った。 その為最初のソロアルバム作業をする時間が本当になかったようだ。入隊日を控えていたので、その前に急いでソロアルバムを発売して活動までしていかなければならなかったから。歌詞を書く時間がなかったため移動中も寝ずに歌詞を書かなければならず、体力的に大変だったと。

・もっと驚くべきことは、このような中でも、2022年自身の軍服務中に公開できるようにカバー曲プロジェクトであるYOUNG ONE 3の撮影まで行ったということだ。

・メンバーたちはヨンケイに対して「環境適応能力が長けており、無人島に一人で閉じ込められても生き残ることができるようだ」、「自己管理が上手な人」、「目標を決めればそれに向かって走ることができる人で、大変な努力家」、「絶対にあきらめずに絶えず努力する能力を持つ人」、「礼儀正しい」イメージを持っていると言った。

・デビュー初めからヨンケイと一緒に作業していたプロデューサーは、ヨンケイが学校に通う時も作業室に来て夜明け5-6時まで曲作業をしたと話した。曲の作業をしながら、途中でおそらく専攻の本を読み、曲を作るために夜も寝ずに作業をしていたと話した。授業があるから9時に学校に行かなければならないと言いながら朝まで作業している日もあったと。芸能人をしながら学生としても一生懸命暮らすのが本当に素敵だったと付け加えた。

・音楽的にアップグレードをしたいので、2020年からは音楽だけに集中していると。デビュー前の練習生の時からこれまで約10年以上ボーカルレッスンを着実に受けていたが、2020年には鍵盤レッスンまで追加で始めた。