ミスマガジン

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概要[編集]

ミスマガジンとは、講談社の『週刊少年マガジン』『週刊ヤングマガジン』で行われる読者投稿形式のグラビアミスコンテストである。1982年創設で、雑誌業界で最も歴史のあるミスコンテストとされる。

詳細[編集]

1982年(昭和57年)、『週刊少年マガジン』のグラビアオーディション企画として、写真家・野村誠一の全面協力を得て創設された。第1回のグランプリは伊藤麻衣子。

以後『少年マガジン』誌上で毎年1回開催されたが、数年の中断を経て1996年に『週刊ヤングマガジン』誌上で復活。2001年以降は両誌編集部の共催となった。2011年度以降はふたたび休止し、2018年に復活して現在に至る。

輩出したタレントには、斉藤由貴、細川ふみえ、中川翔子、岩佐真悠子、山崎真実、北乃きい、倉科カナ、桜庭ななみ、新川優愛、衛藤美彩などがいる。グラビアから女優・タレント・アイドルへ進んだ例が多く、グラビアの入口であると同時に芸能全般への入口としても機能してきた。

2025年度の「ミスマガジン2025」のグランプリは永岡ゆきねが受賞した。

コンテストの仕組み[編集]

応募から一次審査、二次審査を経てベスト20・ベスト16といった段階が発表され、ファイナリストを絞り込んだうえでグランプリ発表の記者会見が行われる。選考の途中経過が誌面やウェブで随時公開されるのが特徴である。

この「過程を見せる」設計には理由がある。結果だけを発表するコンテストでは、受賞者は発表のその瞬間に初めて読者の前に現れる。段階的に候補者を公開すれば、読者は選考の間に候補者を覚え、推す相手を決める。グランプリが決まる頃には、受賞者にはすでに一定の認知と支持が付いている。コンテストそのものが宣伝期間として機能する構造になっている。

近年は年をまたぐ日程が定着しており、たとえば「ミスマガジン2027」は2026年6月2日に第二次審査を通過したベスト20が発表され、グランプリ発表記者会見は2027年1月19日に予定されている。開催年と大会名の年が一年ずれるのはこのためである。

「日本一おせっかいなミスコンテスト」[編集]

45周年にあたる回でリニューアルが行われ、「日本一おせっかいなミスコンテスト」という掲げ方が採用された。

グラビアのコンテストは長く「誰が一番かを決める」形式で運営されてきたが、審査だけを行うと、受賞できなかった参加者はそこで途切れてしまう。応募者側から見れば、コンテストは目的ではなく入口であり、必要なのは順位よりもその後の道筋である。育成や継続的な関与を前面に出す方向への転換は、この認識の変化を反映している。

同時に、コンテストを主催する側の事情もある。グラビアの人材がゼロイチファミリアのようなジャンル特化事務所や、SNS経由の個人から供給されるようになった現在、雑誌主催のコンテストが以前ほど唯一の入口ではなくなった。参加する理由を順位以外に用意する必要が出てきたということでもある。

グラビアの入口としての位置[編集]

グラビアアイドルの入口は複数ある。レースクイーンゼロイチファミリアのようなグラビア専業の事務所、アイドルグループの卒業、コスプレイヤーからの転身、そして雑誌主催のコンテストである。

コンテストの特徴は、実績も所属もない状態から始められる点にある。事務所経由では所属が前提になり、アイドル卒業は前段のキャリアが要る。これに対してコンテストは応募だけで参加でき、入賞すれば雑誌の誌面という露出が最初から付いてくる。吉沢朱音がミスマガジン2019でベスト16に進んだのを機にゼロイチファミリア所属となったように、コンテストが事務所への接続点になる例も多い。

よくある質問[編集]

ミスマガジンはいつから?
1982年創設。『週刊少年マガジン』のグラビアオーディション企画として始まった。
初代グランプリは誰?
伊藤麻衣子(1982年)。
どの雑誌が主催?
講談社の『週刊少年マガジン』と『週刊ヤングマガジン』。
休止していた時期がある?
数年の中断ののち1996年に『ヤングマガジン』で復活。2011年度以降ふたたび休止し、2018年に復活した。
最新の開催は?
「ミスマガジン2027」は2026年6月2日にベスト20が発表され、グランプリ発表記者会見は2027年1月19日に予定されている。2025年度のグランプリは永岡ゆきね。

余談[編集]

  • 大会名の年と実際の開催年が一年ずれる。応募と審査が前年に始まり、グランプリ発表が翌年になるためである。
  • 創設に協力した野村誠一は、1980年代のグラビア写真を代表する写真家の一人である。コンテストの立ち上げに写真家が全面的に関わったことは、この企画が「誰が美しいか」ではなく「誰が写真になるか」を測る枠組みとして設計されたことを示している。同じ構図は篠山紀信写真集の関係にも見られる。
  • 輩出者の名前を並べると、グラビアに留まった人よりも、女優・タレント・アイドルへ移った人のほうが目立つ。コンテストの受賞歴は、その後の進路がどこであっても「一度は数字で選ばれた」という説明として使えるため、業界を移っても効力が残る実績になっている。

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