概要
百貨店(ひゃっかてん)とは、衣料品・食料品・生活用品など幅広い商品を一つの建物で対面販売する大規模な小売店である。デパートとも呼ばれる。日本では1990年代前半を売上のピークに、市場規模が長期にわたって縮小している。
詳細
統計上の百貨店は、衣・食・その他にわたる各種商品を扱い、そのいずれの販売額も全体の10%以上70%未満に収まり、従業者が50人以上で、セルフサービス方式を採らない店舗と定義されている。売場面積は3,000平方メートル以上(東京の特別区と政令指定都市では6,000平方メートル以上)が大型に分類される。
日本の百貨店の多くは呉服店または鉄道会社を出自に持つ。1899年には三井呉服店や高島屋が通信販売部を設けており、店に来られない客へ売る仕組みは早くから備えていた。売上高は1991年前後を頂点として縮小が続き、2020年には4兆2,000億円台まで落ち込んで45年ぶりの低水準となった。その後は訪日客向けの免税売上に支えられて回復したが、2025年は5年ぶりの減少に転じ、免税品の落ち込みが主因と報じられている。
総合スーパーとの境目
百貨店の定義で目を引くのは、総合スーパーとの分かれ目がどこにあるかという点である。取り扱う商品の構成比も売場面積の基準も、両者はまったく同じに設定されている。違うのは二つだけで、セルフサービス方式を採るかどうかと、従業者50人以上という条件が百貨店にだけ付いていることである。
つまり統計の上では、百貨店と総合スーパーを分けているのは品揃えではなく「店員が売るかどうか」である。同じ商品を同じ広さの売場に並べていても、客が自分で取ってレジへ運べば総合スーパー、店員が応対して売れば百貨店になる。業態の名前が違うので別の商売に見えるが、区分の根拠は接客の有無という一点に集約されている。
売っていたものは品揃えではなかった
百貨店の縮小はよく「安い店に客を取られた」と説明される。ただし価格だけでは説明が足りない。百貨店が長く提供してきたのは、品揃えそのものよりも「選んだ責任の肩代わり」だったからである。
個々のブランドの評判を客が自分で調べる手段がなかった時代、その店に置いてあるという一点は強い保証だった。何を選ぶべきかという判断を店が代行し、客はその代行に対して価格差を払っていた。商品を調べる手段が客の側に移ると、この代行の価値は自動的に下がる。検索や口コミで同じ商品の評判が数秒で分かる状況では、保証の役割を店に払う理由が薄くなる。百貨店の売上減が価格競争だけの話でないのは、この部分が抜けたことによる。
売場を貸す形になると何が起きるか
現在の百貨店では、自ら商品を仕入れて売り切る形よりも、ブランドに売場を貸し、売れた分だけを仕入れたことにする方式や、テナントとして入ってもらう方式の比重が大きい。在庫を抱えないので損失は小さく抑えられる。
その代わり、百貨店は商品を選ぶ主体ではなくなる。同じブランドが同じ条件で各社に入るのだから、品揃えは構造的に似てくる。各店の違いは商品ではなく、立地と建物と催事の運び方にしか残らない。店ごとの個性が薄いという指摘は担当者の力量の問題として語られがちだが、仕組みの上ではそうなるように出来ている。ユニクロや無印良品のように自ら作って売る形(製造小売)とは、在庫の危険と品揃えの自由が正反対の位置に置かれている。
食料品売場が残った理由
売上構成では衣料品の縮小が最も大きい一方、地下の食料品売場は相対的に持ちこたえている。衣料品の単価低下はアパレル産業全体で起きた現象と重なっており、食料品は電子商取引のEC化率が最も低い分野のひとつでもある。違いは商品の性質より、来店の間隔にある。衣料品を買いに行くのは年に数回だが、菓子や惣菜は週に何度でも理由になる。
来店の間隔が短い商品を置くかどうかで、店が客の生活の中で占める位置は変わる。無印良品が食品と化粧品を営業収益の2割近くまで伸ばしているのも同じ理屈で、業態は違っても「思い出したときに寄る店」であり続けるための手当てという点では共通している。
余談
- 免税売上への依存には、店の努力では動かせない部分が大きいという性質がある。為替と外国の景気で上下する以上、前年比の増減が接客や品揃えの評価と一致しなくなる。
- 「デパ地下」「屋上遊園地」「大食堂」といった語は、百貨店が一日過ごす場所として設計されていた時代の名残である。目的の売場へ直行して帰る買い方が主流になると、滞在時間を前提にした施設は順に姿を消した。