概要
ファンタジー・SFとは、魔法や幻想的な要素を扱うファンタジーと、科学技術や未来の想定を扱うサイエンス・フィクションの双方にまたがる作品を指すジャンル区分である。アニメ・漫画・ゲーム・映画の作品分類で広く使われる表記で、両者を厳密に切り分けられない作品の受け皿として機能している。
詳細
ファンタジーとSFは、しばしば対立するジャンルとして説明される。前者は現実にありえないものを「そういうものがある世界」として提示し、後者は現実の延長線上に理屈をつけて提示する、という区別である。
しかし実作においてこの線引きは早い段階で崩れる。十分に発達した科学技術は魔法と区別がつかない、という有名な指摘があるように、作中での扱い方が同じなら読者にとっての機能も同じになる。呪文を唱えて火が出るのと、装置を操作して火が出るのとで、物語上の役割は変わらない。
そのため作品分類の現場では、どちらか一方に振り分けることを諦めて二語を並べる運用が定着した。「ファンタジー・SF」というラベルは、ジャンルの定義というより「現実にないものが出てくる作品」という広い括りとして使われている。
境界にある作品
境界が曖昧になる典型が、いくつかある。
失われた超技術型では、魔法とされているものが実は過去の文明の技術だったと明かされる。世界観の設定としてはSFだが、読者が接する体験はファンタジーである。
異世界とテクノロジーの混在型では、剣と魔法の世界に機械や近代兵器が持ち込まれる。異世界ものの一部がここに入る。
宇宙を舞台にした神話型では、SFの舞台設定を借りながら、物語の骨格は英雄譚や神話に沿っている。宇宙船と剣が同居する作品群がこれにあたる。
巨大ロボットは日本独自の中間領域である。新世紀エヴァンゲリオンのように、外形はSFのメカでありながら、その正体や設定が神話的・宗教的な語彙で語られる作品は多い。
日本での展開
日本のアニメと漫画は、このジャンル境界に無頓着であることを強みにしてきた側面がある。海外のSF読者からは厳密性を欠くと見られる要素も、物語の推進に必要なら躊躇なく導入される。
テレビゲーム、とりわけロールプレイングゲームの普及が、この混在をさらに加速させた。魔法と機械が同じメニュー画面に並ぶという体験を多くの人が共有したことで、両者が同居することへの違和感が世代単位で薄れている。
小説家になろう由来のなろう系作品にも、ステータス画面という数値管理の仕組みが登場する。数値と計算はSFの語彙だが、作品全体はファンタジーとして読まれており、この混在を誰も問題にしない。
余談
ジャンルの境界をめぐる議論は、作品の評価とはほとんど関係がないにもかかわらず、愛好者の間で長く続いてきた。ある作品がSFかどうかという論争が定期的に再燃するのは、SFという語が単なる分類ではなく、一種の帰属意識を伴う言葉として使われてきたためだとされる。
魔法と科学を明確に区別する作品のほうが、実は設定の説明に手間がかかる。「これは魔法であって科学ではない」と作中で線を引くには、線の位置を毎回示す必要があるからである。境界を曖昧にしたままにしておくほうが、書き手にとっては楽であり、読者にとっても引っかかりが少ない。
ゲームでは、ジャンル表記が検索の導線そのものになるため、実務的な影響が大きい。片方のラベルしか付けないと、もう片方を好む層に届かない。二語をつないだ表記が生き残っているのは、この事情によるところが大きい。