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しかし、単三乾電池4本で長時間動き、本体が軽く、価格が1万円台前半に収まっていたという条件が揃っていた。カラー液晶を採用した競合機は、電池の持ちと価格の両方で不利になり、結果としてゲームボーイが市場を取っている。 | しかし、単三乾電池4本で長時間動き、本体が軽く、価格が1万円台前半に収まっていたという条件が揃っていた。カラー液晶を採用した競合機は、電池の持ちと価格の両方で不利になり、結果としてゲームボーイが市場を取っている。 | ||
[[任天堂]]は1998年にカラー表示の「ゲームボーイカラー」、2001年には後継の「ゲームボーイアドバンス」が発売され、携帯型のシリーズはニンテンドーDSへと引き継がれていった。 | |||
== 「枯れた技術の水平思考」 == | == 「枯れた技術の水平思考」 == | ||
2026年9月16日 (水) 21:23時点における版
概要
ゲームボーイとは、1989年4月21日に任天堂が発売した携帯型ゲーム機である。希望小売価格12,500円。カラー版を含めた累計販売台数は世界で1億1,869万台に達し、「ゲームを持ち歩く」という遊び方を定着させた機種として扱われる。
詳細
開発を主導したのは、それまで任天堂の玩具・電子ゲーム部門を担っていた横井軍平である。画面は白黒(実際には緑がかった4階調)の液晶で、同時期の競合機に比べて表示性能は明らかに低かった。
しかし、単三乾電池4本で長時間動き、本体が軽く、価格が1万円台前半に収まっていたという条件が揃っていた。カラー液晶を採用した競合機は、電池の持ちと価格の両方で不利になり、結果としてゲームボーイが市場を取っている。
任天堂は1998年にカラー表示の「ゲームボーイカラー」、2001年には後継の「ゲームボーイアドバンス」が発売され、携帯型のシリーズはニンテンドーDSへと引き継がれていった。
「枯れた技術の水平思考」
ゲームボーイを説明するときに必ず引かれるのが、横井軍平の言葉として知られる「枯れた技術の水平思考」である。
意味は、最新の高性能な部品を追うのではなく、すでに安く大量に作られている古い技術を、別の使い道に転用するという設計思想である。ゲームボーイの白黒液晶はまさにそれで、電卓などで量産され尽くした安価な部品だった。性能は低いが、安く、壊れにくく、電気を食わない。
この考え方は、携帯機に何が求められるかという問いに対する一つの答えでもある。据え置き機では画質が競争軸になるが、持ち歩く機械では「電池が何時間持つか」「鞄に入れて壊れないか」「子どもの小遣いで買えるか」のほうが先に効く。高性能の競合機が短命に終わった事例が同時期に複数あることが、この判断の正しさを裏づけている。
ソフトと通信ケーブル
1989年の『テトリス』は本体と並んで売れ、携帯機で短時間遊ぶという習慣を作った。1996年の『ポケットモンスター 赤・緑』は、本体の末期に発売されながら爆発的に売れ、ゲームボーイの寿命を数年単位で延ばしている。
ここで決定的だったのが通信ケーブルである。2台のゲームボーイをケーブルでつなぐと対戦や交換ができるという機能は、当初は対戦用に用意されたものだった。『ポケットモンスター』はこれを「交換しないと図鑑が完成しない」という設計に転用し、機械の付属機能を遊びの中心に据えた。携帯機であること自体が、友人と会って接続するという行為を成立させている。
よくある質問
Q. 画面が緑色に見えるのはなぜか?
初代ゲームボーイの液晶が、バックライトのない反射型で、緑がかった表示になる仕様だったためである。ゲームボーイカラー以降はカラー表示になった。
Q. 競合機はどれか?
同時期にカラー液晶を採用した携帯機が複数発売されたが、電池の持続時間と価格で不利になり、いずれもゲームボーイの販売規模には届かなかった。
Q. いま遊べるのか?
Nintendo Switch向けのオンラインサービスで一部タイトルが配信されている。カートリッジで遊ぶには実機が必要になる。
Q. 頑丈だったというのは本当か?
湾岸戦争時に被災した個体が動作したという逸話が任天堂の関連展示で紹介されており、耐久性の象徴としてしばしば語られる。
余談
- 発売当時、技術系の評価は必ずしも高くなかった。白黒で、画面の残像も目立つ。性能で劣る機種が市場を取った例として、いまも設計論の文脈で参照される。
- 通信ケーブルは当初、対戦格闘的な遊びを想定した機能だった。それを収集と交換に転用したのがゲームフリークであり、機能の使い道は作り手が決めるとは限らないことを示す事例になっている。
- 横井軍平は1996年に任天堂を退社し、翌1997年に交通事故で死去している。携帯型ゲーム機という分野そのものを設計した人物として、後年まで名前が引かれ続けている。
- 単三乾電池で動く仕様は、旅行や移動中に電池を買い足せば遊び続けられることを意味していた。充電式が主流になった現在の携帯機と比べると、電源の確保という点ではむしろ当時のほうが自由度が高かったという見方もある。