ログインなしで、このまま編集できます。編集の記録には、名前の代わりに「IPアドレス」(ネット回線の番号のようなもの)が残ります。名前で記録したい方はログインまたはアカウント作成へ。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!{{人物 | 背景色 = #2E2A1F | 文字色 = #FFFFFF | 罫線色 = #C9A227 | 名前 = 中島来章 | 外国語表記 = なかじま らいしょう | 画像 = [[ファイル:中島来章.jpg]] | 画像説明 = | 本名 = | 生年 = 1796 | 生月 = | 生日 = | 死亡年 = 1871 | 死亡月 = | 死亡日 = | 出身地 = 近江国(大津) | 国籍 = 日本 | 居住地 = | 家族 = | 学歴 = | 職業 = 日本画家(円山派) | 肩書 = | 活動期間 = 幕末 | 代表的な実績 = 幕末円山派を代表、平安四名家のひとり | 受賞 = | 別名 = | あだ名 = | その他 = 門下に川端玉章 | リンク = }} == 概要 == '''中島来章'''(なかじま らいしょう、1796年-1871年)は、幕末から明治初期にかけて活躍した[[円山応挙|円山派]]の日本画家。花鳥画、とりわけ鯉と鶉を得意とし、円山派の伝統をしっかり守りつつも洒脱な感覚をのぞかせた絵師らしい。のちに近代日本画の大物となる[[川端玉章]]の最初の師としても重要な存在である。 == 生い立ち == 近江国甲賀郡(一説に大津)の出身。はじめ画を渡辺南岳に学び、のちに[[円山応挙]]の孫弟子にあたる円山応瑞に従って一家をなした。円山派本流の写生を受け継ぎながら、自分なりの軽やかな筆致を加えていった。 == 平安四名家 == 幕末の京都画壇では、四条派の横山清暉・[[塩川文麟]]、岸派の岸連山らと並んで'''平安四名家'''と称され、円山派を代表する絵師として高い名声を得た。鯉や鶉といった身近な題材を得意とし、写実のなかに親しみやすさを宿した画風が好まれたという。 == 門下の育成 == 来章の画塾からは、近代日本画の礎を築く逸材が次々と輩出した。なかでも[[川端玉章]]は11歳で来章に入門しており、のちに東京美術学校教授・帝室技芸員となって[[平福百穂]]や[[結城素明]]を育てる「写生派の祖」へと成長する。ほかにも幸野楳嶺、加納夏雄ら、幕末明治の京都画壇を担う面々が来章のもとから巣立った。 == 余談 == * 明治4年(1871年)、76歳で没した。 * 門下の[[川端玉章]]を介して、来章の写生の系譜は近代日本画へと脈々と受け継がれていった。 * 同じ円山派・森派の動物画家[[森狙仙]]とは、ともに[[円山応挙]]の写実を受け継いだ同時代の絵師にあたる。 == 関連項目 == * [[円山応挙]] - 円山派の祖 * [[川端玉章]] - 門下。近代日本画の大物 * [[塩川文麟]] - 平安四名家のひとり、四条派 * [[森狙仙]] - 円山派の動物画 * [[岡本豊彦]] - 四条派 * [[呉春]] - 四条派の祖 * [[松村景文]] - 四条派の花鳥画 * [[柴田是真]] - 同時代の漆芸家・絵師 * [[平福百穂]] - 川端玉章門 * [[結城素明]] - 川端玉章門 == 外部リンク == * [https://ja.wikipedia.org/wiki/中島来章 ウィキペディア「中島来章」] [[Category:人物]] [[Category:画家]] [[Category:日本画家]] {{DEFAULTSORT: なかしまらいあきら}} [[カテゴリ:人物/作家・クリエイター]] 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) このページで使用されているテンプレート: テンプレート:Infobox (編集) テンプレート:Infobox/行 (編集) テンプレート:人物 (編集)