鈴木啓太 / Keita Suzuki
鈴木啓太.jpg
(Source:google)
ID YouTube:@keitasuzuki3213
本名 鈴木 啓太(すずき けいた)
誕生日 1981年7月8日
年齢 42歳
出身地 静岡県静岡市
身長 177㎝
学歴 東海大翔洋高校
プラットフォーム YouTube
登録者数 YouTube:25万人[1]
リンク YouTubeTwitterInstagramAuB


概要[編集]

日本のYouTuber(ユーチューバー)、YouTubeチャンネル。サッカー選手。

歴史[編集]

  • 2000年に浦和レッドダイヤモンズに加入し、天皇杯でプロ初出場。翌年のヴィッセル神戸戦でリーグ戦初出場を果たす。
  • 2002年からはアテネオリンピックを目指すU-23サッカー日本代表にも招集されるようになり最終予選ではキャプテンも務めるも、監督であった山本昌邦が複数ポジションをこなせるユーティリティプレイヤーを好んで選出したため、本大会には選出されなかった。
  • 2006年、日本代表監督にイビチャ・オシムが就任。A代表に初招集され、同年8月9日のキリンチャレンジカップ、トリニダード・トバゴ戦で初出場し、以後オシムジャパンでは唯一全試合先発出場を続けた。また、クラブでの活躍により2006年、2007年と2年連続でJリーグベストイレブンに選出され、2007年にはサッカー担当記者選出の日本年間最優秀選手賞を受賞している。
  • 2009年は山田暢久に替わり、チームキャプテンに就任。主に阿部勇樹とボランチでコンビを組み、大きな怪我も無くほぼフル稼働し、浦和の中盤を支え続けた。また、9月19日J1第26節川崎フロンターレ戦では自身2年振りとなるゴールも記録した。
  • 2010年も引き続きチームキャプテンに就任。しかし、細貝萌の台頭などもあり、序盤は阿部勇樹、細貝萌のボランチのコンビが機能していた影響で、自然にベンチを温める機会が多くなった。 8月末に阿部がレスター・シティFCに移籍した影響でボランチの層が薄くなったものの、ここでも怪我などが重なりレギュラー奪取とは行かず、最終的に公式戦出場試合数は前年の約半分程に減った。
  • 2011年、ゼリコ・ペトロビッチ新監督からチームキャプテンに指名され、これで3年連続でチームキャプテンを任される形となった。この年はプレシーズンマッチから先発で起用されたが、開幕戦の神戸戦で退場処分を受け、東日本大震災中断明けの第7節名古屋グランパス戦は出場停止となり欠場。その後、出場停止明けの数試合は山田暢久にボランチのポジションを譲ったが、程なくしてレギュラーに復帰。監督が堀孝史に交代後は4-1-4-1システムのアンカーのポジションを任され、J1残留に大きく貢献した。
  • 2012年は阿部勇樹が復帰したことで3年続いたチームキャプテンを譲る形となった。怪我も無く、阿部と共にほぼ全試合に出場した。天皇杯2回戦ヴォルカ鹿児島戦で、後半開始から阿部勇樹センターバック、鈴木啓太ボランチで入ったものの、攻守にバランスが取れなかったことからポジションチェンジが行われ、公式戦で初めてセンターバックに入った。
  • 2013年はJリーグでは、那須大亮の加入もありゲーム終盤では、トップ下に入る試合が増えた。また、ACLでは那須がボランチ出場するためベンチスタートが続いたが、永田充の怪我で那須のセンターバック起用によってACLでもボランチ出場している。
  • 2014年は序盤スタメン出場が続いていたが、青木拓矢が怪我から復調すると徐々にベンチスタートが多くなっていった。 シーズン中盤からは再びスタメン出場を続けていたが、Jリーグ第31節横浜F・マリノス戦の試合途中に突然体調不良に見舞われハーフタイムで交代した。その後の診断結果で不整脈と診断されドクターが付き経過を観察していたが、状態が安定して来た為、第34節名古屋グランパス戦でベンチ入りし後半86分に途中出場したものの、皮肉にも自身のパスミスからカウンターを喰らい永井謙佑に逆転ゴールを奪われ、逆転負けを喫してしまった。また、ACLを制した2007年も30節に連覇の可能性がありながらラスト5試合全て勝てず逆に9連勝で終えた鹿島アントラーズに逆転優勝された時も在籍していたので、阿部勇樹と平川忠亮と共に2度の大逆転V逸を味わった一人となってしまった。シーズンオフに入り不整脈の手術を受ける事を決断したが、オフにもう一度精密検査を受けた結果手術の必要が無い事が分かった。
  • 2015年10月20日に自身のFacebookで同年限りで浦和を退団することを発表した。同年は怪我の影響などもありリーグ戦は4試合の出場であった。11月22日、明治安田生命J1リーグ2ndステージ第17節ヴィッセル神戸戦終了後、鈴木の退団セレモニーが行われ、現役を引退した。
  • 2016年11月、Jリーグ功労選手賞を受賞した。
  • 2017年7月17日、埼玉スタジアム2002で自身の引退試合が開催され、2ゴールを奪った。

余談[編集]

  • 妻はファッションモデルの畑野ひろ子。
  • アスリートの腸内細菌データをベースにヘルスケア・フードテック事業を展開する AuB(オーブ)株式会社 を設立している。
  1. 2024年1月