| 野長瀬晩花 Banka Nonagase | |
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| ファイル:野長瀬晩花.jpg | |
| 本名 | 野長瀬弘男 |
| 誕生日 | 1889年8月17日 |
| 死亡日 | 1964年3月31日 |
| 死亡年齢 | 74歳 |
| 出身地 | 和歌山県西牟婁郡近野村(現・田辺市) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 日本画家 |
| 活動期間 | 1910年代 - 1960年代 |
| 代表的な実績 | 《初夏の流》《海近き町の舞妓》 |
野長瀬晩花(のながせ ばんか、1889年〈明治22年〉8月17日 - 1964年〈昭和39年〉3月31日)とは、大正から昭和にかけて活躍した日本画家である。土田麦僊・小野竹喬・村上華岳・榊原紫峰らとともに、官展に対抗して自由な芸術の創造を掲げた国画創作協会の創立会員のひとりとして知られる。本名は弘男。
概要[編集]
野長瀬晩花は、近代京都画壇に新風を吹き込んだ在野の日本画家である。京都市立絵画専門学校で土田麦僊・小野竹喬と同窓となり、若くして進歩的な芸術家たちと交わった。1918年(大正7年)、麦僊らと国画創作協会を結成し、伝統に縛られない個性的な人物画・風俗画を発表した。のちにヨーロッパを巡り、その体験を画業に反映させたことでも知られる。
生い立ちと修業[編集]
1889年(明治22年)8月17日、和歌山県西牟婁郡近野村(現在の田辺市中辺路町近露)の資産家の三男として生まれた。1909年(明治42年)に京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)へ入学し、同級には後に盟友となる小野竹喬や土田麦僊がいた。もっとも晩花は在学中から既成の教育に飽き足らず、2年目には授業をほとんど受けず、竹久夢二や秦テルヲといった進歩的な若い芸術家たちとの交流に打ち込んだという。
国画創作協会[編集]
1918年(大正7年)、晩花は土田麦僊・小野竹喬・村上華岳・榊原紫峰らとともに国画創作協会を設立した。これは、当時の官展(文展)の権威主義に反発し、個性と自由な創造を尊ぶ若い日本画家たちが結んだ在野の団体である。晩花は第1回国展に《初夏の流》を出品し、続いて《休み時》(第2回)、《夕陽に歸る漁夫》(第3回)などを発表して、瑞々しい叙情と近代的な感覚をたたえた作品で注目された。
渡欧と代表作[編集]
その後、晩花はヨーロッパへ渡り、スペインなど南欧の風物に取材した。帰国後に発表した《スペインの田舎の子供》(第4回国展)は、異国の光と生活を描いてこの画家の視野の広がりを示した。以後も《水汲みに行く女》(第5回国展)、《海近き町の舞妓》(第6回国展)など、市井の人々を主題に素朴で温かな人物画を描き続けた。
代表作には次のものがある。
- 《初夏の流》(1918年、第1回国展)
- 《休み時》(1919年、第2回国展)
- 《夕陽に歸る漁夫》(1920年、第3回国展)
- 《スペインの田舎の子供》(1924年、第4回国展)
- 《海近き町の舞妓》(1927年、第6回国展)
余談[編集]
国画創作協会に集った土田麦僊・小野竹喬・村上華岳・榊原紫峰・入江波光らは、いずれも竹内栖鳳や菊池芳文らが主導した京都画壇の伝統のなかから育ちつつ、それを乗り越えようとした世代であった。晩花はそのなかでも、都会的な洗練よりも郷里・熊野の風土に通じる素朴さと叙情を大切にした画家として、独自の位置を占めている。