| 都路華香 Tsuji Kakō | |
|---|---|
| 誕生日 | 1871年2月12日 |
| 死亡日 | 1931年8月4日 |
| 死亡年齢 | 60歳 |
| 出身地 | 京都 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 幸野楳嶺に師事 |
| 職業 | 日本画家 |
| 活動期間 | 明治〜昭和 |
| 代表的な実績 | 楳嶺四天王の一人/禅味と波の表現 |
| 受賞 | 勲六等瑞宝章 |
| 別名 | 旧姓:辻/号:華香(楳嶺命名) |
概要[編集]
都路華香(つじ かこう、1871年2月12日 - 1931年8月4日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家。竹内栖鳳・菊池芳文・谷口香嶠とともに幸野楳嶺門下の「楳嶺四天王」に数えられる。参禅で培った精神性と、こだわり抜いた波の表現で知られる。
四天王の最年少[編集]
1871年(明治3年)、京都に生まれた。1880年(明治13年)、9歳で幸野楳嶺に入門する。四天王の中では最年少だが入門は最も早く、翌年に菊池芳文と竹内栖鳳が入門する際の取次役を務めたのは華香だったという。「華香」の号は楳嶺が、平安の文人・都良香にちなんで「都(つじ)の路に華の香りがする」という意味で与えたものらしい。
禅と波の画家[編集]
1890年(明治23年)の第3回内国勧業博覧会に出品して以来、しばしば展覧会で受賞を重ねた。1899年(明治32年)からは建仁寺の黙雷禅師に参禅し、これ以降、禅をモチーフにした作品や、禅に通じる大らかさ・自由闊達さの感じられる画面を多く生み出した。とりわけ波の表現に強くこだわり、独自の装飾的な水の描写を追求している。
晩年[編集]
1928年(昭和3年)に胃がんの手術を受けて退院し、以後は「再生菴」と号した。1930年(昭和5年)秋から神経痛を患い、1931年(昭和6年)に60歳で死去。没にあたり勲六等瑞宝章を受けている。竹内栖鳳が京都画壇の総帥として近代化を牽引する一方、華香は禅味のある独自の道を歩んだ、四天王の中でも個性的な存在だった。
余談[編集]
- 楳嶺四天王=竹内栖鳳・菊池芳文・谷口香嶠・都路華香。芳文の系譜は娘婿の菊池契月へ、栖鳳の系譜は上村松園や土田麦僊ら多数の門下へと広がった。
- 旧姓の「辻」は和製漢字で中国に無い字のため、号には「都」が当てられたというのが命名の由来である。