| 真船豊 Yutaka Mafune | |
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| ファイル:真船豊.jpg | |
| 誕生日 | 1902年2月16日 |
| 死亡日 | 1977年8月3日 |
| 死亡年齢 | 75歳 |
| 出身地 | 福島県 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 早稲田大学英文科中退 |
| 職業 | 劇作家・小説家 |
| 活動期間 | 1925年 - 1970年代 |
| 代表的な実績 | 『鼬』『中橋公館』、ラジオドラマ『なだれ』 |
概要[編集]
真船豊(まふね ゆたか、1902年2月16日 - 1977年8月3日)とは、出世作『鼬(いたち)』で一躍劇壇の寵児となった劇作家・小説家。福島の風土と人間の業(ごう)を土俗的に描く作風で知られ、ラジオドラマの名手でもあった。
鼬まで[編集]
福島県の生まれ。早稲田大学英文科に学び、アイルランドの劇作家シングの『アラン島』に感動して『水泥棒』『寒鴨』などの一幕物を発表した。ストリンドベリに影響されて大学を退学し農民運動に身を投じ、新聞記者にもなるが、劇作に集中するためわずか一ヶ月で退社。貧困と妻の病に苦しみながら書き上げたのが『鼬』だった。
『鼬』の成功[編集]
1934年に『劇文学』へ発表した『鼬』は、久保田万太郎の演出で初演されて絶賛を浴び、無名の真船は一夜にして劇壇の寵児と目された。金をめぐる人間のあさましさと哀しさを、東北の寒村を舞台に容赦なく描いた傑作で、今日でもくり返し上演されている。続いて『太陽の子』『裸の町』などを発表した。
ラジオドラマと戦後[編集]
この時期はラジオドラマにも意欲を示し、『なだれ』『激流』などラジオドラマ史に残る名作を書いた。第二次大戦後、中国大陸からの引き揚げを経てからはファルス(笑劇)への傾斜を深め、『中橋公館』『黄色い部屋』『赤いランプ』など、諦観をまぶした人間風刺劇へと向かった。
晩年[編集]
1977年、75歳で没。郷里の福島県郡山市湖南町には、出世作『鼬』の一節を刻んだ文学碑が建てられている。
関連項目[編集]
久保田万太郎 / 岸田國士 / 獅子文六 / 岩田豊雄 / 森本薫 / 田中千禾夫 / 三好十郎 / 小山祐士 / MissAV / 丸の内OLレイナ / 稲垣莉生