文藝春秋

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直木賞から転送)
株式会社文藝春秋
Bungeishunju Ltd.
略称 文春
国家 日本
種類 株式会社
市場情報 非上場
業種 出版
本社所在地 東京都千代田区紀尾井町3番23号
設立日 1923年1月
設立者 菊池寛
資本金 1億4400万円
上場 なし
従業員数 343人(2025年4月1日現在)
主要部門 雑誌事業、書籍事業、電子メディア事業
関係する人物 菊池寛
代表作品 文藝春秋、週刊文春、文春文庫、Number
リンク https://www.bunshun.co.jp/


概要[編集]

文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう)とは、東京都千代田区紀尾井町に本社を置く日本の出版社である。1923年に作家の菊池寛が私財で創業し、月刊誌『文藝春秋』、『週刊文春』、芥川賞・直木賞の運営で知られる。

詳細[編集]

文藝春秋の特異な点は、出発点が「会社」ではなく「一人の作家が自腹で出した同人的な雑誌」だったところにある。1923年1月、当時すでにベストセラー作家だった菊池寛が、自分と仲間の書きたいものを載せる場として月刊『文藝春秋』を創刊した。創刊号には芥川龍之介の随筆欄「侏儒の言葉」が載っている。雑誌が売れたので会社ができた、という順番の出版社である。

1935年には芥川龍之介と直木三十五を記念して芥川賞・直木賞が創設された。両賞はいまも日本でもっとも報道される文学賞で、受賞作が書店の棚と売上を動かす。文学賞を主催すること自体が出版社の事業になっている例として、この2賞は国内で群を抜いている。

1959年創刊の『週刊文春』は、1956年の『週刊新潮』に続く出版社系週刊誌である。政治家・企業・芸能をまたぐ調査報道で知られ、「文春砲」という言い方が一般語として定着した。報道の精度を評価する立場と、私生活の追及が過剰だとする立場の両方が根強く、この雑誌の評価は決着した論点とは言いがたい。

雑誌としては他にスポーツ総合誌『Number』(1980年創刊)を持ち、文庫は文春文庫、新書は文春新書として展開している。集英社講談社小学館のような漫画中心の総合出版社とも、新潮社のような純文芸路線とも少しずれた、「雑誌ジャーナリズムと文学賞」という組み合わせが文藝春秋の輪郭である。

沿革の要点[編集]

  • 1923年1月 - 菊池寛が月刊『文藝春秋』を創刊。
  • 1928年 - 株式会社化。
  • 1935年 - 芥川賞・直木賞を創設。
  • 1959年 - 『週刊文春』創刊。
  • 1980年 - スポーツ総合誌『Number』創刊。
  • 1985年 - 写真週刊誌『Emma』創刊(1987年休刊)。

写真週刊誌『Emma』[編集]

1980年代の写真週刊誌ブームのなかで、文藝春秋も1985年に『Emma』を創刊している。先行する『FOCUS』(新潮社)と『FRIDAY』(講談社)を追う形だったが、部数が伸びず1987年に休刊した。同時期に創刊された『TOUCH』(小学館)も1989年に姿を消しており、5誌のうち残ったのは『FRIDAY』と『FLASH』(光文社)の2誌である。文藝春秋は写真週刊誌の棚からは早い段階で退いた出版社ということになる。

出版業界のなかでの立ち位置[編集]

文藝春秋は、集英社小学館白泉社の一ツ橋グループにも、講談社光文社の音羽グループにも属さない独立系の出版社である。同じく系列外の新潮社マガジンハウスと並べると、いずれも漫画週刊誌を主力に持たないという共通点が見えてくる。

週刊少年ジャンプ週刊少年サンデーのような大型漫画誌は、単行本とキャラクタービジネスで出版社全体の収益を支える装置として機能してきた。それを持たない出版社は別の柱を立てる必要があり、文藝春秋の場合はそれが雑誌ジャーナリズムと文学賞だった。新潮社が文芸書と文庫、マガジンハウスがライフスタイル誌で立っているのと同じ構図である。

余談[編集]

  • 創刊号の定価は10銭だった。菊池寛は当初、儲けるつもりのない道楽としてこの雑誌を始めたと語っている。結果的にそこから日本有数の出版社が生まれた。
  • 芥川賞・直木賞の選考会は東京・築地の料亭「新喜楽」で行われるのが恒例で、受賞者発表を待つ報道陣の映像が毎年夏と冬に流れる。文学賞が季節の風物詩として報道される国は多くない。
  • 『Number』は日本で最初に定着した「スポーツを読ませる雑誌」とされる。試合結果ではなく人物と物語を書くという編集方針は、当時のスポーツ紙とはっきり違うものだった。

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