尾崎喜八

尾崎喜八
Ozaki Kihachi
誕生日 1892年1月31日
死亡日 1974年2月4日
死亡年齢 82歳
出身地 東京市京橋区
国籍 日本
職業 詩人
肩書 山と自然をうたった詩人
代表的な実績 詩集『空と樹木』、ロマン・ロランとの交流


概要[編集]

尾崎喜八(おざき きはち、1892年 - 1974年)は、大正・昭和期の詩人。高村光太郎に私淑して詩の道に入り、フランスの文豪ロマン・ロランと書簡を交わした文学者として知られる。山岳や自然への澄んだ愛をうたった抒情詩で、登山愛好家からも長く親しまれている詩人らしい。

文学への目覚め[編集]

東京・京橋区の隅田川のほとりにある廻船問屋の長男として生まれた喜八は、京華商業学校を卒業後、銀行に勤めながら西欧文学の英訳本を読みふけった。19歳のとき高村光太郎の詩に心酔し、翌1912年(大正元年)に高村のアトリエを訪ねて文学への志を打ち明ける。以来、二人は生涯にわたる親交を結んだ。

ロマン・ロランとの交流[編集]

高村光太郎の影響でロマン・ロランの著作に出会い、深く心酔した喜八は、1922年(大正11年)、スイスに滞在していたロランに第一詩集《空と樹木》を贈った。これがきっかけとなり、両者は親しく書簡を取り交わす間柄となる。喜八はロランやエクトル・ベルリオーズの翻訳を雑誌《白樺》に連載するなど、ロランの思想と芸術を日本に伝える役割も担った。同じくロランに私淑した片山敏彦や、ロラン邸を訪ねてその胸像を制作した彫刻家高田博厚とも親交が深く、日本における「ロマン・ロランの友」の一翼を担っている。

詩風[編集]

1922年5月に刊行された第一詩集《空と樹木》をはじめ、喜八の詩は山や高原、樹木や星といった自然を清冽な言葉でうたい上げるのが特色である。観念に流れず、対象を静かに見つめるその姿勢は、高村光太郎の影響を受けつつも独自の境地を切り開いた。同時代の白樺派の詩人千家元麿とも、人間と自然への賛美という点で響き合う部分がある。

余談[編集]

喜八は無類の山好きとしても知られ、その随筆や詩は登山文学の名品として読み継がれている。1974年(昭和49年)2月4日、82歳で没。澄み切った自然詩は、いまも静かな読者を獲得し続けている。

関連項目[編集]