佐賀郡川上合戦(さがぐんかわかみかっせん)とは、
肥前千葉氏千葉胤泰千葉胤基親子の家臣で、
鑰尼氏鑰尼季高鑰尼泰高親子が謀叛を勃こした事に由り、
肥前國佐賀郡川上郷(佐賀縣佐賀郡大和町大字川上)で、
應永十一年(1404年)四月十二日に勃発した合戦。

合戦経過[編集]

鑰尼氏は、少貮氏の支援を受けて行たので、
肥前今川氏の初代当主の今川國秋を討ち取る等して善戦したが、
九州探題清和源氏澁川氏澁川満頼が、肥前千葉氏を支援した為に、
鑰尼季高鑰尼泰高親子が討死した。

肥前千葉氏に身方した側の討死[編集]

千葉胤泰の外孫で、千葉胤基の甥で、
肥前今川氏の初代当主の今川國秋が討死。

鑰尼氏側の討死[編集]

鑰尼季高鑰尼泰高親子が討死。

参考文献[編集]

佐賀縣佐賀市史・第一巻(佐賀市史編纂委員会。1977年7月)
佐賀縣小城郡牛津町史(牛津町史編纂委員会。1990年3月)

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関係事項[編集]