亀田史郎
亀田史郎チャンネル.jpg
(Source:google)
ID YouTube:@user-ww5je4pl2g
本名 亀田 史郎(かめだ しろう)
誕生日 1965年5月22日
年齢 58歳
出身地 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿生まれ、大阪府大阪市西成区天下茶屋育ち
身長 170cm
血液型 B型
学歴 中学校卒業
プラットフォーム YouTube
登録者数 YouTube:50万人[1]
別名 「浪速の闘拳」、「神の判定」
リンク YouTube


概要[編集]

日本のYouTuber(ユーチューバー)、YouTubeチャンネル。 元ボクサー。ボクシングトレーナー、YouTuber。 プロボクサーを目指し、新日本大阪ジムに通い、中学卒業後に正式に入門したが、同時に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。その後、自分の子供たちにトレーナーとして格闘技を教えている

歴史[編集]

  • 1965年、兵庫県姫路市飾磨区妻鹿生まれ、大阪府大阪市西成区天下茶屋育ち。
  • 20歳の時、1歳年上の女性と結婚(教育方針をめぐり2003年に離婚)。子供たちに格闘技を教える。
  • 2007年10月11日、次男の大毅が初めての日本人相手となる内藤大助戦で反則行為を繰り返し、亀田家ではプロ転向後初めて黒星を喫した。一連の反則行為でセコンドにいた史郎と長男・興毅が反則を指示していたとして日本中から批判を受けることになり、セコンドライセンスの無期限停止を受ける。その後は海外の試合だけセコンド参加ができた。
  • 2018年1月31日、娘の姫月とYoutuberとして活動を開始。

話題[編集]

余談[編集]

  • 亀田三兄弟の父として広く知られているが、史郎自身も三兄弟の三男であり「元祖亀田三兄弟」と呼ばれている(次兄の長男が京之介)。
  • 煙草が嫌い。
  • 自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。(自伝より)
  • 教育については独自の考えがあるが、三男の和毅を中学生時代には登校させていなかった。義務教育が終わっている興毅や大毅の合宿に平日で通常であれば学校に行っているはずの当時中学生の和毅までも合宿に参加している様子が報じられている。
  • 独特の練習を行うために、ときおり海や山で合宿を行うことがあった。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もあった。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても史郎は三兄弟を並ばせることが多かった。練習内容を報道しても和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れなかった。和毅の不登校を取り上げるのは週刊文春や週刊新潮のみだった。
  • 史郎の指導法を支持する渡部信宣が、リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変えて、一時期弟子入りしていた。
  • 2006年8月7日放送のテレビ番組で長男の興毅に宛てた直筆の手紙が紹介されたが、その内容がテレビアニメ『侍ジャイアンツ』最終回のセリフと酷似していたことが後に話題となる。『侍〜』の著作権者であるトムス・エンタテインメントは「私的引用の範疇に当たると考えており、問題視しません」とコメントした[11]。
  • オフィシャルブログ『亀田三兄弟の親父』では、「俺はそう考えてる」という言葉が頻繁に使われており、記事を締めくくる恒例の決めゼリフとなっている。2012年1月からは「俺はそう考える」に変わった。
  • 2014年6月、大阪市西成区岸里にアマチュアボクシングジム「K-WORLD3」を開設。
  • 料理が得意であり、自身のYouTubeチャンネルにおいて、レシピ動画が人気を集め再生回数・登録者数を伸ばしている。
  1. 2024年1月