| 株式会社フジテレビジョン Fuji Television Network, Inc. | |
|---|---|
| 略称 | フジテレビ、CX |
| 国家 | 日本 |
| 種類 | 株式会社 |
| 市場情報 | 持株会社のフジ・メディア・ホールディングスが東証プライム上場 |
| 業種 | 情報・通信業(放送) |
| 本社所在地 | 東京都港区台場 |
| 設立日 | 1957年11月18日 |
| 年齢 | 68周年 |
| 所有者 | フジ・メディア・ホールディングス |
| 主要株主 | フジ・メディア・ホールディングス(持株会社) |
| 主要部門 | 放送事業、コンテンツ事業 |
| 別名 | 富士テレビジョン |
| リンク | 公式サイト |
概要[編集]
フジテレビとは、東京都港区台場(お台場)に本社を置く民間放送のテレビ局である。正式な社名は株式会社フジテレビジョン。1957年11月18日に設立され、1959年3月1日に放送を開始した。フジテレビ系列(FNN/FNS)の基幹局で、関東地方を放送対象地域とする在京キー局のひとつ。
詳細[編集]
ラジオ局と映画会社が作った局[編集]
フジテレビの設立は1957年11月18日、東京都千代田区有楽町に資本金6億円で「株式会社富士テレビジョン」として行われた。母体となったのは文化放送とニッポン放送という二つのラジオ局で、これに東宝・松竹・大映という映画会社各社が出資者として加わっている。翌1958年12月に商号を株式会社フジテレビジョンへ改めた。放送開始は1959年3月1日である。
出資者の顔ぶれは他局と比べてはっきり違う。日本テレビは読売新聞社、テレビ朝日は東映と出版・教育関係、TBSテレビはラジオ局が母体だった。フジテレビだけがラジオと映画の両方を出自に持つ。テレビを脅威と見ていたはずの映画会社が株主に名を連ねたのは、当時の映画産業が観客動員の頭打ちを意識し始めていたことの表れでもある。
この組み合わせは番組の作り方に出た。映画会社から人と手法が流れ込んだことで、画面の作り込みや演出の派手さを前に出す編成が早い時期から可能になった。バラエティ番組を大がかりな装置と生放送で見せる手法が同局の代名詞になっていくのは、この出自と無関係ではない。
娯楽路線という選択[編集]
1980年代以降、フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」という標語を掲げて娯楽路線を前面に出し、バラエティとドラマの両方で長期にわたり高い視聴率を記録した。この時期に確立された編成の型は、同じ時間帯に同じ性格の番組を並べて、局全体の印象を一つの方向に揃えるというものだった。視聴者が「この局はこういう局」と認識すると、個別の番組を知らなくてもチャンネルが選ばれるようになる。
一方、2010年代以降は視聴率の低下が継続的に指摘され、編成方針の見直しが繰り返されている。原因の説明は分かれており、視聴習慣そのものが配信へ移ったことを主因とする見方と、局の編成判断を問題とする見方が並立している。どちらの説明も単独では他局との差を説明しきれないため、評価は定まっていない。
お台場移転[編集]
1997年、本社を新宿区河田町からお台場の新社屋へ移転した。球体の展望室を持つ社屋は建築として広く知られ、周辺の商業施設と合わせて観光地として機能するようになった。放送局が番組を作る場所であると同時に人を集める施設になるという発想を、日本で最も早く大規模に実行した例である。夏のイベントを社屋一帯で展開する運用もここから定着した。
この移転は在京キー局の移転ラッシュの先頭にあたる。日本テレビが汐留(2003年)、テレビ朝日が六本木ヒルズ(2003年)と続き、TBSテレビは赤坂に留まりつつ周辺開発を進めた。放送局が再開発の核になる構図は、この20年で都心の景観をかなり変えている。テレビ東京と日本放送協会を含めれば、在京のテレビ局はほぼすべてが同じ時期に局舎の建て替えか移転を経験している。
アニメと海外展開[編集]
深夜アニメの枠を早くから持ち、国内外で知られる作品を送り出してきた。鬼滅の刃のように社会現象規模の広がりを見せた作品もあり、放送枠と製作委員会への参加が組み合わさることで、放送後の配信・映画化・商品化まで一連の流れが局の収益に結びつく構造になっている。NetflixやAmazonプライム・ビデオといった配信事業者が同時配信の窓口になることで、国内の放送と海外の視聴のあいだにあった時間差がほぼ消えたことも、この10年の大きな変化である。
余談[編集]
- 設立時の社名は「富士テレビジョン」で、漢字表記だった。1958年にカタカナ表記へ改めている。
- お台場の社屋の球体部分は展望室として一般公開されており、放送局の建物が観光の目的地になる先例となった。
- 開局した1959年は皇太子(当時)の結婚パレードが行われた年で、この中継がテレビ受像機の普及を一気に押し上げたとされる。開局のタイミングとしては条件がよかった。
- 韓国ドラマの昼の放送枠を持っていた時期があり、日本における韓流の受容に一定の役割を果たした。放送枠が文化の入口として機能した例のひとつである。