毎日新聞

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概要[編集]

毎日新聞とは、毎日新聞社が発行する日本の全国紙である。1872年創刊の『東京日日新聞』を源流とし、現存する日本の日刊紙のなかで最も古い歴史を持つ。

詳細[編集]

源流は東西の二紙にある。東京側は1872年(明治5年)創刊の『東京日日新聞』、大阪側は1876年創刊の『大阪日報』で、後者は1888年に『大阪毎日新聞』へ改題した。1911年に大阪毎日新聞社が東京日日新聞を買収して東西二本社体制が整い、1943年に題号が『毎日新聞』へ統一された。

大阪発祥の朝日新聞が東京へ進出したのと逆に、毎日は大阪の会社が東京の老舗紙を買う形で全国紙になった。この経緯のため、大阪本社が継承した事業(春の高校野球=選抜大会の主催など)と、東京側が引き継いだ紙齢の古さが、同じ社の中に併存している。

新旧分離という再建[編集]

毎日新聞を他の新聞社と最も強く分けるのが、1977年11月の経営再建である。石油危機後の業績悪化を受け、負債を抱えたまま残る旧会社と、通常の事業を担う新会社に分ける「新旧分離」方式が採られ、新会社には東京放送(現・TBSテレビの親会社にあたる系列)、毎日放送、スポーツニッポン新聞東京本社、販売店、取引銀行などが計40億円を出資した。旧社と新社は1985年10月に再び合併している。

ここに見えるのは、新聞社と放送局の資本関係が「系列をどう作るか」の話であると同時に、危機の際に誰が資金を出せるかという話でもあった、という点である。全国紙で経営破綻に近い局面を公然と経て再建した例は他になく、系列内に資金の出し手がいたことが再建の前提条件になっている。2011年4月1日には子会社のスポーツニッポン新聞社と共同で株式移転を行い、持株会社・毎日新聞グループホールディングスの傘下に入った。

部数の推移[編集]

日本ABC協会の集計では、2026年6月時点の朝刊部数は約105万部で、この1年間に約15万7千部を減らしている。減少率は読売新聞朝日新聞より大きく、全国紙のなかで最も急である。

減少率の差は紙面の内容の差として語られやすいが、実際には残っている読者層の構成と電子版への移行の進み方の違いが大きい。加えて、戸別配達を前提とする仕組みでは、部数が減っても配達網そのものはすぐには縮められない。1部あたりに配達の費用が重くのしかかる構造なので、規模の縮小は費用の面で均等には効かない。これは毎日新聞だけの問題ではなく、宅配網を自前で抱える日本型の新聞社全体に共通する条件である。

主催事業[編集]

春の選抜高等学校野球大会(高校野球)の主催は大阪毎日新聞から継承した事業で、夏の選手権を主催する朝日新聞社と、二大大会を分け持つ形になっている。ほかに毎日芸術賞、毎日映画コンクール、毎日書道展などを主催する。

新聞社が主催事業を持つ意味は、読売新聞が球団を持った計算と同じで、紙面で報じる対象を自ら作り出せる点にある。大会が続く限り毎年確実に記事になり、宣伝の費用をほとんどかけずに読者の関心をつなぎ留められる。

余談[編集]

  • 題号が『毎日新聞』に統一されたのは1943年で、戦時下の新聞統合の流れのなかで起きている。東西で別の題字を使っていた時期のほうが、統一後より長い。
  • 傘下のスポーツニッポン(スポニチ)は、2011年の持株会社化で毎日新聞社と並ぶ形になった。親子関係から兄弟関係へ整理されたと見ることもできる。
  • 「新旧分離」は倒産法制上の用語で、新聞の見出しとしてはあまり見かけない言葉が、そのまま社史の節の名前になっている珍しい例である。

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