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[[宮城県]]の農村部に生まれ、高校在学中に投稿した作品が[[手塚治虫]]の目に留まる。上京して[[トキワ荘]]に入居し、[[藤子・F・不二雄]]や[[赤塚不二夫]]らと同じ屋根の下で腕を磨いた。トキワ荘の面々のなかでも画力の高さは群を抜いており、「石森が描くと何でも上手くなる」と評されたという。
[[宮城県]]の農村部に生まれ、高校在学中に投稿した作品が[[手塚治虫]]の目に留まる。上京して[[トキワ荘]]に入居し、[[藤子・F・不二雄]]や[[赤塚不二夫]]らと同じ屋根の下で腕を磨いた。トキワ荘の面々のなかでも画力の高さは群を抜いており、「石森が描くと何でも上手くなる」と評されたという。


1964年から[[週刊少年キング]]系の雑誌で『サイボーグ009』の連載を開始。9人の改造人間がそれぞれの祖国と出自を背負って戦うという設定は、少年漫画の枠を超えた重いテーマを含んでおり、以後およそ30年にわたって断続的に描き継がれることになった。
1964年から週刊少年キング系の雑誌で『サイボーグ009』の連載を開始。9人の改造人間がそれぞれの祖国と出自を背負って戦うという設定は、少年漫画の枠を超えた重いテーマを含んでおり、以後およそ30年にわたって断続的に描き継がれることになった。


1971年には特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の原作を手がける。改造人間が自らを生んだ組織と戦うという骨格は、そのまま『サイボーグ009』の問題意識の延長線上にあった。以後、『人造人間キカイダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』など、テレビとの二人三脚で次々にヒーローを生み出していく。
1971年には特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の原作を手がける。改造人間が自らを生んだ組織と戦うという骨格は、そのまま『サイボーグ009』の問題意識の延長線上にあった。以後、『人造人間キカイダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』など、テレビとの二人三脚で次々にヒーローを生み出していく。

2026年9月17日 (木) 09:21時点における版

石ノ森章太郎
Shotaro Ishinomori
本名 小野寺章太郎
誕生日 1938年1月25日
死亡日 1998年1月28日
死亡年齢 60歳
出身地 宮城県登米郡石森町(現・登米市)
国籍 日本
職業 漫画家(萬画家)
活動期間 1954年 - 1998年
代表的な実績 『サイボーグ009』『仮面ライダー』『サイボーグ009』ほか770タイトル
受賞 講談社漫画賞、日本漫画家協会賞ほか
別名 石森章太郎
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概要

石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう、1938年1月25日 - 1998年1月28日)とは、『サイボーグ009』『仮面ライダー』などを生んだ日本の漫画家である。生涯に770タイトルを発表し、「一人の著者が描いた漫画の出版作品数が世界一」としてギネス世界記録に認定された、文字通り桁違いの多作家である。

詳細

経歴

宮城県の農村部に生まれ、高校在学中に投稿した作品が手塚治虫の目に留まる。上京してトキワ荘に入居し、藤子・F・不二雄赤塚不二夫らと同じ屋根の下で腕を磨いた。トキワ荘の面々のなかでも画力の高さは群を抜いており、「石森が描くと何でも上手くなる」と評されたという。

1964年から週刊少年キング系の雑誌で『サイボーグ009』の連載を開始。9人の改造人間がそれぞれの祖国と出自を背負って戦うという設定は、少年漫画の枠を超えた重いテーマを含んでおり、以後およそ30年にわたって断続的に描き継がれることになった。

1971年には特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の原作を手がける。改造人間が自らを生んだ組織と戦うという骨格は、そのまま『サイボーグ009』の問題意識の延長線上にあった。以後、『人造人間キカイダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』など、テレビとの二人三脚で次々にヒーローを生み出していく。

「萬画」の提唱

1989年、石ノ森は「漫画」という表記が作品を低く見せていると考え、あらゆるものを表現できるメディアという意味を込めて「萬画(まんが)」という表記を提唱、「萬画宣言」を発表した。以後は自らの職業を漫画家ではなく萬画家と称している。

ギネス世界記録

2006年から刊行が始まった『石ノ森章太郎萬画大全集』は全500巻・770タイトル・総ページ数約12万8000ページに達し、2008年に「一人の著者が描いたコミックの出版作品数が世界最多」としてギネス世界記録に認定された。存命中に達成された記録ではなく、没後の全集刊行によって公式に確定した点が異色である。

作品の広がり

ヒーローものの印象が強いが、実際には歴史・経済・教育まで題材は極端に広い。『マンガ日本経済入門』は学習漫画の可能性を証明し、『佐武と市捕物控』は時代劇でありながら映像的な演出で高く評価された。ジャンルを選ばず、依頼が来ればとりあえず描く——という姿勢そのものが、770タイトルという数字を支えていた。

没後

1998年1月28日、心不全のため60歳で死去。誕生日の3日後だった。作品群は石森プロが管理し、ヒーロー作品は現在も映像化が続いている。出身地の宮城県登米市には「石ノ森章太郎ふるさと記念館」、石巻市には「石ノ森萬画館」が建てられ、地域の観光拠点になっている。

よくある質問

「石森」と「石ノ森」はどう違う?
デビュー当初は「石森章太郎」名義だった。出身地の石森町(いしのもりまち)が「いしもり」と読み間違えられることが多かったため、1986年に読みを明確にする目的で「石ノ森」へ改めた。
ギネス記録は今も保持している?
「一人の著者が描いたコミックの出版作品数」の記録として認定されている。連載の巻数を競う記録(ゴルゴ13が保持)とは別の部門である。
仮面ライダーは石ノ森の作品なのか?
テレビ企画としては東映と共同で作られたもので、石ノ森は原作者としてデザインと世界観を担った。並行して自身の手による漫画版も描いている。

余談

  • トキワ荘時代、同居人が「石森は寝ている時間以外ずっと描いている」と証言している。多作の理由は才能というより単純な作業量だったとされる。
  • 東京タワーにあったギネス世界記録博物館の名誉館長に、没後の2008年に就任している。人物ではなく記録に対する顕彰という珍しい形だった。
  • 『サイボーグ009』の結末は複数のバージョンが存在し、作者の生前に決定版が確定しなかった。未完のまま残された最終章は、後年に別の書き手の手で補完が試みられている。

外部リンク

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