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2026年9月17日 (木) 17:40時点における最新版
| さいとう・たかを Takao Saito | |
|---|---|
| 本名 | 齋藤隆夫 |
| 誕生日 | 1936年11月3日 |
| 死亡日 | 2021年9月24日 |
| 死亡年齢 | 84歳 |
| 出身地 | 和歌山県和歌山市 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 漫画家 |
| 活動期間 | 1955年 - 2021年 |
| 代表的な実績 | 『ゴルゴ13』『無用ノ介』『サバイバル』 |
| 事務所 | さいとう・プロダクション |
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概要[編集]
さいとう・たかを(1936年11月3日 - 2021年9月24日)とは、『ゴルゴ13』の作者として知られる日本の漫画家である。映画のような画面構成で大人向けの物語を描く「劇画」の確立者の一人であり、制作をプロダクションで分業する体制を日本の漫画界に持ち込んだ人物でもある。
詳細[編集]
経歴[編集]
和歌山県に生まれ、大阪府で理髪店を営む家に育つ。理容師として働きながら漫画を描き、1955年に貸本漫画でデビュー。当時の大阪は貸本文化の中心地で、辰巳ヨシヒロらとともに、子ども向けの「漫画」とは違う大人向け表現を「劇画」と呼び直す運動=劇画工房を1959年に結成した。
1968年、創刊まもないビッグコミックで『ゴルゴ13』の連載を開始。国籍も本名も不明の狙撃手デューク東郷が、依頼を受けて世界中で仕事をこなすという一話完結型の構成は、国際情勢を毎回の舞台装置として取り込むことで半世紀にわたり更新され続けた。
分業制の確立[編集]
さいとうの最大の発明は、作品そのものより「作り方」だったとも言われる。1960年にさいとう・プロダクションを設立し、脚本・作画・背景・仕上げを専門スタッフに分業させる体制を敷いた。脚本チームが取材に基づいてシナリオを書き、さいとうは主要人物の作画と最終的な演出判断を担う——という映画の撮影所に近い方式である。
これは、一人の作家が全てを担うことを前提としてきた日本の漫画界では異端だった。しかしこの体制があったからこそ、『ゴルゴ13』は作者の体調や気分に左右されずに連載を継続できた。さいとうは生前から「自分が死んでも作品は続く」と公言していた。
没後の連載継続[編集]
2021年9月24日、膵臓がんのため84歳で死去。宣言どおり、連載は中断されることなくさいとう・プロダクションのスタッフによって継続されている。作者の死後も新作が描かれ続ける商業漫画は日本では極めて珍しく、分業制の思想が実際に機能したことを示す事例となった。
ギネス世界記録[編集]
『ゴルゴ13』は2021年7月に単行本201巻に到達し、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。それまでの記録は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が保持していた。刊行は現在も続いている。
その他の作品[編集]
時代劇『無用ノ介』、極限状況のサバイバルを描いた『サバイバル』、小説を原作とした『鬼平犯科帳』など、題材の幅は広い。いずれも綿密な取材とリアリズム寄りの作画という点で一貫している。
余談[編集]
- デューク東郷は年齢も国籍も明かされないまま半世紀以上活動しているが、作中の年代は現実の時間と同期している。読者の間では「設定上いくつなのか」が長年のネタになっている。
- さいとうは「漫画家は作家ではなく職人であるべきだ」という趣旨の発言を繰り返していた。作家主義への距離感が、そのまま制作体制の設計思想になっている。
- 理容師免許を持っていたことは有名な逸話で、プロダクションのスタッフの散髪を自ら引き受けていた時期があるとされる。