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* 40代半ばまで長く売れず、貸本時代は極貧だったと本人が繰り返し書いている。'''遅咲きの成功例として漫画史で最もよく引かれる一人'''である。 | * 40代半ばまで長く売れず、貸本時代は極貧だったと本人が繰り返し書いている。'''遅咲きの成功例として漫画史で最もよく引かれる一人'''である。 | ||
* | * 2010年の[[NHK]]連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は、妻・武良布枝の自伝を原作としたもので、放送を機に水木作品の読者が改めて広がった。 | ||
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2026年9月17日 (木) 04:57時点における最新版
| 水木 しげる Shigeru Mizuki | |
|---|---|
| 本名 | 武良 茂(むら しげる) |
| 誕生日 | 1922年3月8日 |
| 死亡日 | 2015年11月30日 |
| 死亡年齢 | 93歳 |
| 出身地 | 大阪府大阪市(鳥取県境港市育ち) |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 漫画家、妖怪研究家、紙芝居作家 |
| 活動期間 | 1958年 - 2015年 |
| 代表的な実績 | ゲゲゲの鬼太郎、悪魔くん、河童の三平、総員玉砕せよ! |
| 受賞 | 紫綬褒章(1991年)、旭日小綬章(2003年)、文化功労者(2010年) |
| 事務所 | 水木プロダクション |
| 別名 | 水木サン |
| リンク | https://www.mizukipro.com/ |
| 話す | スレッドを立てる › |
概要[編集]
水木しげる(みずき しげる、1922年3月8日 - 2015年11月30日)とは、日本の漫画家・妖怪研究家である。本名は武良茂。『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』などで妖怪漫画という分野を確立し、一方で自身の従軍体験に基づく『総員玉砕せよ!』などの戦記作品も残した。
詳細[編集]
大阪府大阪市に生まれ、鳥取県境港市で育った。太平洋戦争中はラバウルに出征し、爆撃で左腕を失っている。復員後、紙芝居の作者を経て貸本漫画へ移り、1958年に漫画家としてデビューした。
長く不遇の時期が続いたが、1965年に講談社の雑誌『週刊少年マガジン』へ発表した『テレビくん』で講談社児童まんが賞を受け、1968年の『ゲゲゲの鬼太郎』テレビアニメ化で一気に広く知られるようになった。40代半ばでの本格的なブレイクである。1991年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章、2010年に文化功労者。2015年11月30日に93歳で死去した。
妖怪を「調べて描く」という方法[編集]
水木の仕事の核心は、創作というより収集と記録にある。各地に伝わる妖怪の言い伝えを文献や聞き取りで集め、姿かたちの記述を絵として確定させた。現在、日本人が「ぬりかべ」「一反木綿」「子泣き爺」と聞いて同じ姿を思い浮かべられるのは、水木が描いた図像が事実上の標準になっているためである。
これは同時に、水木以前は「名前は伝わっているが、姿の定まっていない妖怪」が多数あったことを意味する。伝承の記述を絵に落とす過程には解釈が入るため、現在流通している妖怪像のかなりの部分は水木の解釈を経由している。妖怪研究の側からは、この点が資料としての扱いを難しくしているという指摘もあり、標準化の功績と資料的な線引きの問題は同時に語られる。
背景描写にも特徴がある。細密なペンで描き込まれた風景の中に、単純な線の主人公が立つ——この落差自体が、日常の風景の中に異物がいるという妖怪の在り方を絵で説明している。
戦記漫画という別の柱[編集]
妖怪の作家として知られるが、水木はもう一つ、従軍体験に基づく戦記作品を書き続けた。『総員玉砕せよ!』は、部隊がほぼ全滅した戦地の経験を下敷きにしており、英雄的な描写を排して、無意味に消費されていく兵士たちを淡々と描く。
娯楽作品と同じ画風で描かれていることが、この種の作品では独特の効果を持つ。単行本の棚では『ゲゲゲの鬼太郎』の隣に並ぶが、中身は正反対の性質を持っている。妖怪漫画と戦記漫画が同一の作家から出ていることは、水木を語る上で切り離せない。
よくある質問[編集]
Q. 「ゲゲゲ」とは何か?
水木が子どもの頃、自分の名前「しげる」をうまく言えず「ゲゲル」と発音していたことに由来するとされる。作品名としては、貸本時代の『墓場の鬼太郎』がテレビアニメ化にあたって改題されたものである。
Q. 左腕を失った状態でどうやって描いていたのか?
利き腕である右腕は残っており、右手で描いていた。細密な背景描写が代表的な特徴であることを考えると、この点はしばしば驚かれる。
Q. 妖怪はすべて水木の創作なのか?
違う。多くは各地の伝承や江戸期の絵巻・図譜にもとづく。ただし姿の定まっていなかったものに具体的な図像を与えた例が多く、その図像が広まったため、水木版が「本来の姿」として受け取られることがある。
Q. 境港市との関係は?
少年時代を過ごした土地で、現在は「水木しげるロード」に妖怪のブロンズ像が並び、水木しげる記念館がある。
余談[編集]
- 自身を「水木サン」と三人称で呼ぶ書き方をエッセイで用いた。自分を少し離れたところから観察する文体で、後年のエッセイ漫画の書き方に通じるところがある。
- 睡眠を重視することを公言しており、多忙な時期でもよく寝ていたという逸話が繰り返し語られる。締切に追われる漫画家像とは対照的なエピソードとして引かれることが多い。
- 40代半ばまで長く売れず、貸本時代は極貧だったと本人が繰り返し書いている。遅咲きの成功例として漫画史で最もよく引かれる一人である。
- 2010年のNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は、妻・武良布枝の自伝を原作としたもので、放送を機に水木作品の読者が改めて広がった。