※ ログインしていません。編集を行うと、あなたのIPアドレスが公開されます。ログインまたはアカウントを作成すれば、あなたの編集はその利用者名とともに表示されるほか、さまざまなメリットもあります。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!== 歴史 == 地球では、約22.22億年前の地球全体が凍りつく[[全球凍結]]の直後に、光合成を行うシアノバクテリアが増加し、酸素濃度が急激に上昇する{{ill2|大酸化イベント|en|Great Oxidation Event}}が発生した<ref>{{Cite web |url=https://park.itc.u-tokyo.ac.jp/tajika/research/Atmospheric-concentration-of-Oxygen/ja.html |title=田近研究室 » 大気中酸素濃度の上昇史とそのメカニズムの解明 |access-date=2025-05-23 |website=park.itc.u-tokyo.ac.jp}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC056N90V01C21A0000000/ |title=20数億年前に酸素急増の謎、1日が長くなったから? |access-date=2025-05-23 |date=2021-10-25 |website=日本経済新聞 |language=ja}}</ref>。 === 初期の実験 === [[ファイル:Philos experiment of the burning candle.PNG|thumb|120px|right|フィロンの実験は後の研究者たちに影響を与えた]] [[燃焼]]と空気の間には何らかの関係があるのでは、と行われたもっとも古い実験のひとつは、紀元前2世紀の[[古代ギリシア]]の[[ビザンチウムのフィロン]]が著した『プネウマティカ(Pneumatica)』に記録されている。器に据えた[[蝋燭]]を灯してガラスの壺を上から被せ、壺の口が漬かるまで器に水を満たす。すると、壺の中へ水が吸い上がる様子を観察することができた<ref>{{cite book|title = Story of Human Error|first = Joseph |last = Jastrow|url=https://books.google.co.jp/books?id=tRUO45YfCHwC&pg=PA171&lpg=PA171&redir_esc=y&hl=ja|page= 171 |year = 1936|publisher = Ayer Publishing|isbn = 0836905687}}</ref>。フィロンは、壺の中の空気が「[[四大元素]]の火」に変換され、これが壺のガラス壁を透過して逃げたと考えた。それから遥か時代が下った中世の[[ルネサンス]]期に、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]はフィロンの実験に考察を加え、燃焼や[[呼吸]]を通じて空気が一部消費されると考えた<ref name="ECE499">[[#Cook|Cook & Lauer (1968)]], p. 499.</ref>。 17世紀後半に[[ロバート・ボイル]]は、燃焼には空気が必要不可欠であることを立証した。これを[[ジョン・メーヨー]]は、必要なものは彼が「硝気精<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tamabi.ac.jp/idd/shiro/air/discovery/discovery.html|title=空気の発見|author=高橋士郎|publisher=[[多摩美術大学]]|accessdate=2010-05-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130615095739/http://www.tamabi.ac.jp/idd/shiro/air/discovery/discovery.html|archivedate=2013-06-15}}</ref>(spiritus nitroaereus、nitroaereus)」と名づけた空気の構成要素だという説を提唱した<ref name="EB1911">{{cite book|title=Encyclopaedia Britannica|chapter=John Mayow|edition=11th|year=1911|url=http://www.1911encyclopedia.org/John_Mayow|accessdate=2007-12-16|author=''Britannica'' contributors}}</ref>。メイヨーの実験はフィロンと同じように水で封じた逆さの容器にそれぞれ蝋燭とマウスを入れ、どちらも水位が14分の1程度上昇したことを確認した<ref name="WoC">{{cite book|title=World of Chemistry|chapter=John Mayow|year=2005|publisher=Thomson Gale|url=http://www.bookrags.com/John_Mayow|accessdate=2007-12-16|author=''World of Chemistry'' contributors}}</ref>。これから、メイヨーは燃焼と呼吸のいずれでも硝気精が消費されるとの確証を得た。またメイヨーは、[[アンチモン]]を加熱すると質量が増えることも確認し、これは金属に硝気精が結合したためと考えた<ref name="EB1911"/>。呼吸については、硝気精は[[肺]]の中で空気から取り出されて血液に受け渡され、動物の体温や筋肉の動きを生み出す反応に使われると考察し<ref name="EB1911"/>、1668年に発表した<ref name="WoC"/>。 === フロギストン説 === [[ファイル:Georg Ernst Stahl.png|thumb|160px|right|[[ゲオルク・シュタール]]はフロギストン説の構築と普及に寄与した]] {{Main|フロギストン説}} 17世紀から18世紀にかけて、酸素は[[ロバート・フック]]、{{仮リンク|オーレ・ボッシュ|en|Ole Borch}}、[[ミハイル・ロモノーソフ]]、ピエール・バイエンらが実験で作り出していたが、いずれもがそれを元素とは認識しなかった<ref name="NBB299">[[#Reference-idEmsley2001|Emsley (2001)]], p. 299.</ref>。そこには、[[フロギストン説]]と呼ばれる燃焼と腐食に関する広く知られた学説が影響を及ぼしていた。 1667年に[[ドイツ]]の[[錬金術]]師[[ヨハン・ベッヒャー]]が発案し、1731年までに[[ゲオルク・シュタール]]が理論構築したフロギストン説<ref name="morris">{{cite book| title = The last sorcerers: The path from alchemy to the periodic table| last = Morris| first = Richard| year = 2003|publisher = Joseph Henry Press|location = Washington, D.C.|isbn = 0309089050}}</ref>は、可燃物とは燃素(フロギストン)とほかの物質の2つが結合した状態にあり、燃焼が起こると燃素が遊離し、残りの物質もしくは[[石灰]]が残るというものだった<ref name="ECE499"/>。この説では、木材や石炭などは燃素の含有率が高く、鉄など不燃性のものはほとんど含まないと考えられた。空気の効果は無視され、わずかに行われた実証試験でも可燃物を燃やすと軽くなるという点から確かに何かが失われているという考察がされたに過ぎず<ref name="ECE499"/>、発生ガスへ意識が向けられることはなかった。このフロギストン説が否定される契機は、金属を空気中で燃やすと重量が増すという報告だった。 === 発見 === [[ファイル:Carl Wilhelm Scheele from Familj-Journalen1874.png|thumb|160px|left|[[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]。惜しくも酸素発見者の栄誉を逃した]] 酸素は[[1771年]]<ref name="Newton96">[[#ニュートン|玉尾、桜井、福山 (2010)]]、96-97頁。</ref>、[[スウェーデン]]の[[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]が[[酸化水銀(II)]]とさまざまな[[硝酸塩]]混合物を加熱する過程で発見した<ref name="ECE500"/><ref name="ECE499"/>。シェーレはこの気体を「火素(fire air)」と名づけ1775年に論文を作成したが、出版社の都合で<ref name="Newton96" />発表されたのは1777年となった<ref name="NBB300">[[#Reference-idEmsley2001|Emsley (2001)]], p. 300.</ref>。 [[ファイル:PriestleyFuseli.jpg|thumb|160px|right|[[ジョゼフ・プリーストリー]]。一般的には彼が酸素の発見者とされる]] シェーレが発見を知らしめるのに手間取っていた[[1774年]][[8月1日]]、[[イギリス]]の[[ジョゼフ・プリーストリー]]はガラス管に入れた酸化水銀(II)に[[太陽光|日光]]を照射して得たガスに「脱フロギストン空気(dephlogisticated air)」と命名した<ref name="ECE500"/>。彼はこのガスの中では蝋燭がより明るく燃え、マウスが活発かつ長寿になることを確かめた。さらに自分でこのガスを吸い、「吸い込んだときには普通の空気と大差ないと思ったが、少し後になると呼吸が軽く楽になった」と書き残した<ref name="NBB299"/>。1775年、プリーストリーは新聞紙上にこの発見を発表し、2冊目の著作 ''[[:en:Experiments and Observations on Different Kinds of Air|Experiments and Observations on Different Kinds of Air]]''でも論述した<ref name="ECE499"/>。このように、彼の発表がシェーレよりも先に行われたため、酸素発見者はプリーストリーということになった。 [[フランス]]の高名な化学者[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]は、のちに自分が新元素を発見していたと主張したが、1774年10月にラヴォアジエはプリーストリーの訪問を受け、ガス発生手段など実験の概要を耳にしている。また、それに先立つ9月30日、プリーストリーは前もって新発見したガスの説明を記した書簡をラヴォアジエに送っているが、ラヴォアジエはこれを受け取っていないと主張した。なおプリーストリーの死後、彼の私物の中から書簡の写しが見つかっている<ref name="NBB300"/>。 === ラヴォアジエの功績 === [[ファイル:Lavoisier, Antoine Laurent de (1743-1794) CIPB1171.jpg|thumb|160px|left|[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]。旧来の[[フロギストン説]]を葬り去った]] ラヴォアジエは、厳密な物質量確認を伴う[[酸化]]の実験を通じて、燃焼の実態を正しく説明することに貢献した<ref name="ECE500"/>。彼は[[フロギストン説]]を否定し、プリーストリーらが発見したガスが元素のひとつであると立証するため、1774年以来行われた実験の追試に乗り出した。 ラヴォアジエは、[[スズ]]と空気を密閉した容器を加熱しても全体の重さに変化がないことを観測し<ref name="ECE500"/>、開封すると外気が流れ込むことから空気の一部が減少していると確認し、またスズが重くなっていることも計測した。そして、この流入空気質量とスズの質量増分が同じであることを確認した。1777年、彼はこの実験結果などをまとめた書籍『''Sur la combustion en général''』を発表した<ref name="ECE500"/>。この中でラヴォアジエは、空気は燃焼と呼吸に深く関わる''vital air''と、これらに関与しない''azote''({{lang-grc-short|ζωτον}}、「生気のない」の意)」の2種類のガスが混合したものと証明した。''azote''はのちに[[窒素]]とされた<ref name="ECE500"/>。 1777年、ラヴォアジエは『酸素こそすべての[[酸化剤]]({{lang-en|oxidizing agent}})の源泉である』と考え、古代ギリシア語{{Polytonic|ὀξύς}}(oxys、「鋭い」の意)と {{Polytonic|-γενής}}(-genēs、「製作者」の意)を合成したフランス語「oxygène」という命名を「vital air」に施した{{sfn|万有百科大事典|1974|p=642}}。 1791年に[[詩人]]でもある[[エラズマス・ダーウィン]]([[チャールズ・ダーウィン]]の祖父)が出版した有名な書籍『植物の園』(''The Botanic Garden'')の中で、このガスを称賛する詩『''oxygen''』を載せたため、すでに一般に広まっていたこともあり、「oxygen」の単語は英語に組み込まれていった<ref name="NBB300"/>。 === 量産・工業化 === [[ジョン・ドルトン]]の[[原子論]]では、当初すべての元素は「単元素」であり、原子比も単純なものであるという仮定があり、水は水素と酸素が1対1のHOというみなしの元で酸素の原子量を8と判断していた<ref>{{cite web| title = The Interactive Textbook of PFP96 |chapter= Do We Take Atoms for Granted?|chapterurl=http://www.physics.upenn.edu/courses/gladney/mathphys/subsubsection1_1_3_2.html |url=http://www.physics.upenn.edu/courses/gladney/mathphys/Contents.html |first=Dennis |last=DeTurck |coauthors=Gladney, Larry and Pietrovito, Anthony| publisher=University of Pennsylvania|year=1997|accessdate=2008-01-28}}</ref>。これは1805年に[[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック]]と[[アレクサンダー・フォン・フンボルト]]によって原子比が1対2に改められ、1811年に[[アメデオ・アヴォガドロ]]がアボガドロの法則に則って水の正しい構成を解釈した<ref>{{cite book|title=A Treatise on Chemistry|first=Henry Enfield |last=Roscoe |coauthors=Schorlemmer, Carl|pages=38|year=1883|publisher=D. Appleton and Co.}}</ref>。 19世紀には空気の構成も判明してきた。1877年に[[スイス]]の{{仮リンク|ラウル・ピクテ|en|Raoul Pictet}}<ref name="BES707">{{cite book|title=Biographical Encyclopedia of Scientists|last=Daintith|first=John|year=1994|publisher=CRC Press|isbn=0750302879|page=707}}</ref>とフランスの[[ルイ・ポール・カイユテ]]<ref name="BES707"/>が相次いで酸素の液体化に成功したと発表し、安定状態での液体酸素は[[ヤギェウォ大学]]の[[ジグムント・ヴルブレフスキ]]と{{仮リンク|カロル・オルシェフスキ|en|Karol Olszewski}}が初めて得た<ref>[http://www.poland.gov.pl/Karol,Olszewski,and,Zygmunt,Wroblewski:,condensation,of,oxygen,and,nitrogen,1987.html Poland - Culture, Science and Media. Condensation of oxygen and nitrogen]. Retrieved on 2008-10-04.</ref>。 1891年にはイギリスの[[ジェイムズ・デュワー]]が研究で用いるに充分な液体酸素の製法を見つけ<ref name="NBB303">[[#Reference-idEmsley2001|Emsley (2001)]], p. 303.</ref>、1895年には[[ドイツ]]の[[カール・フォン・リンデ]]とイギリスのウィリアム・ハンプソンがそれぞれ液化分留による商業ベースに乗る量産法を確立した<ref name="HPAM">{{cite book|title=How Products are Made|chapter=Oxygen|publisher=The Gale Group, Inc|year=2002|url=http://www.answers.com/topic/oxygen|accessdate=2007-12-16|author=''How Products are Made'' contributors}}</ref>。この酸素を工業的に用いる例として、1901年には[[アセチレン]]と圧縮酸素を用いた[[溶接]]法のデモンスチレーションが行われた<ref name="HPAM"/>。 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます)