ログインなしで、このまま編集できます。編集の記録には、名前の代わりに「IPアドレス」(ネット回線の番号のようなもの)が残ります。名前で記録したい方はログインまたはアカウント作成へ。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!{{人物 | 背景色 = #33291A | 文字色 = #FFFFFF | 罫線色 = #C9A227 | 名前 = 岸岱 | 外国語表記 = がん たい | 画像 = [[ファイル:岸岱.jpg]] | 画像説明 = | 本名 = | 生年 = 1782 | 生月 = | 生日 = | 死亡年 = 1865 | 死亡月 = | 死亡日 = | 出身地 = 京都 | 国籍 = 日本 | 居住地 = 京都 | 家族 = 岸駒(父) | 学歴 = | 職業 = 絵師(岸派)、日本画家 | 肩書 = | 活動期間 = 江戸時代後期 | 代表的な実績 = 岸派2代。京都御所・金刀比羅宮の障壁画 | 受賞 = | 別名 = 名:国章・昌岱、字:君鎮、号:卓堂・虎岳・紫水・同功館 | あだ名 = | その他 = | リンク = }} '''岸岱'''(がんたい、1782年〈天明2年〉頃 - 1865年〈慶応元年〉)とは、江戸時代後期に京都で活躍した日本画家。虎の絵で名高い岸駒を父に持ち、'''岸派'''の2代目として幕末の京都画壇に一勢力を築いた。父ゆずりの豪快さに対し、柔和で穏やかな作風を身上とした。 == 生い立ち == 岸派の祖・岸駒(がんく)の長男として生まれ、父から直接絵の手ほどきを受けた。名ははじめ国章、のちに昌岱、字を君鎮といい、別号に卓堂・虎岳・紫水・同功館などがある。号の多さでも知られる。文化5年(1808年)には従六位下筑前介に任ぜられている。 == 画業 == 父・岸駒が「虎の岸駒」と称された剛健な画風で一家をなしたのに対し、岸岱は柔和で穏やかな情趣ある作風を特色とした。花鳥・山水・人物を広くこなし、岸派2代目として一門を率いた。文化6年(1809年)には父・岸駒とともに加賀藩の金沢城内の障壁画制作に加わっている。 == 障壁画の名手 == 岸岱は御所や社寺の大画面を数多く手がけた。京都御所の造営に際しての襖絵や、讃岐国の金刀比羅宮(香川県)の障壁画などが代表作として知られ、装飾性ゆたかな大作を得意とした。 == 岸派の系譜 == 岸派は祖・岸駒に始まり、2代・岸岱、同時代に活躍した岸良、3代・岸連山へと受け継がれた。岸連山は[[中島来章]]・[[横山清暉]]・[[塩川文麟]]とともに幕末京都画壇の'''平安四名家'''に数えられている。流派としての岸派は4代・岸竹堂、あるいは連山の子・岸九岳の代で途絶えたとされるが、その流れを汲む画家たちは明治の展覧会にも多く出品し、明治期まで岸派の命脈を保った。 == 余談 == * 生年には天明2年(1782年)説と天明5年(1785年)説がある。 * 父・岸駒は虎図を得意としたが、岸岱もまた虎を描き、岸派の看板画題を継承した。 == 関連項目 == * [[中島来章]] - 幕末円山派、平安四名家 * [[横山清暉]] - 幕末四条派、平安四名家 * [[塩川文麟]] - 幕末京都画壇の長老、平安四名家 * [[円山応挙]] - 写生画の祖 * [[呉春]] - 四条派の祖 * [[松村景文]] - 四条派の花鳥画 * [[森寛斎]] - 森派の絵師。同時代の京都画壇 == 外部リンク == * [https://ja.wikipedia.org/wiki/岸岱 ウィキペディア「岸岱」] [[Category:人物]] [[Category:画家]] [[Category:日本画家]] {{DEFAULTSORT:かんたい}} [[カテゴリ:人物/作家・クリエイター]] 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) このページで使用されているテンプレート: テンプレート:Infobox (編集) テンプレート:Infobox/行 (編集) テンプレート:人物 (編集)