ログインなしで、このまま編集できます。編集の記録には、名前の代わりに「IPアドレス」(ネット回線の番号のようなもの)が残ります。名前で記録したい方はログインまたはアカウント作成へ。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!{{人物 | 背景色 = #7B1E3A | 文字色 = #FFFFFF | 罫線色 = #E8C8D2 | 名前 = 中山晋平 | 外国語表記 = なかやま しんぺい | 画像 = [[ファイル:中山晋平.jpg]] | 画像説明 = | 本名 = | 生年 = 1887 | 生月 = 3 | 生日 = 22 | 死亡年 = 1952 | 死亡月 = 12 | 死亡日 = 30 | 出身地 = 長野県中野市 | 国籍 = 日本 | 居住地 = | 家族 = | 学歴 = 東京音楽学校 | 職業 = 作曲家 | 肩書 = 日本音楽著作権協会会長 | 活動期間 = 1914年〜 | 代表的な実績 = カチューシャの唄、東京行進曲、証城寺の狸囃子 | 受賞 = | 別名 = | あだ名 = | その他 = | リンク = }} == 概要 == '''中山晋平'''(なかやま しんぺい、1887年-1952年)は、大正・昭和期に活躍した作曲家。[[島村抱月]]と[[松井須磨子]]の[[島村抱月|藝術座]]のために書いた「'''カチューシャの唄'''」が日本初の本格的な流行歌となり、以後「東京行進曲」「証城寺の狸囃子」など歌謡・童謡・新民謡にまたがる無数のヒットを生んだ、日本大衆音楽の生みの親のひとりらしい。 == 生い立ち == 明治20年(1887年)、長野県(現・中野市)に生まれた。上京して[[島村抱月]]の書生となりながら東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に学び、明治45年(1912年)に卒業した。抱月のもとで暮らした縁が、のちの運命を大きく動かすことになる。 == カチューシャの唄 == 大正3年(1914年)、[[島村抱月]]主宰の[[島村抱月|藝術座]]がトルストイ原作『復活』を上演する際、その劇中歌として作曲したのが「カチューシャの唄」である。作詞は[[島村抱月]]と[[相馬御風]]、歌ったのは座の看板女優[[松井須磨子]]。哀愁を帯びた親しみやすい旋律は全国を席巻し、レコードは2万枚を売り上げて「日本初の流行歌」と呼ばれた。劇場の歌が街の歌になった画期的な出来事だったという。 == 国民的作曲家へ == 以後、「船頭小唄」「東京行進曲」「東京音頭」などの流行歌を次々と発表し、日本的な大衆歌謡の様式を確立した。児童雑誌では「証城寺の狸囃子」「てるてる坊主」などの童謡を量産し、創作民謡(新民謡)にも力を注いだ。誰もが口ずさめる平明な旋律が身上で、その作風は「晋平節」と親しまれた。昭和23年(1948年)からは日本音楽著作権協会の会長も務めている。 == 余談 == * 「カチューシャの唄」を機に、新劇の劇中歌から流行歌が生まれるという新しい文化の流れができた。 * 作詞で組んだ[[相馬御風]]は早稲田大学校歌「都の西北」の作詞者でもある。 * [[松井須磨子]]が歌ったことで、晋平の名は一気に全国区となった。 == 関連項目 == * [[島村抱月]] - 藝術座を主宰した恩師 * [[松井須磨子]] - カチューシャの唄を歌った女優 * [[相馬御風]] - 共作の作詞者 * [[沢田正二郎]] - 同時代の藝術座出身の演劇人 * [[坪内逍遥]] - 文藝協会 * [[小山内薫]] - 新劇 * [[築地小劇場]] - 新劇の拠点 == 外部リンク == * [https://ja.wikipedia.org/wiki/中山晋平 ウィキペディア「中山晋平」] [[Category:人物]] [[Category:作曲家]] [[Category:音楽家]] {{DEFAULTSORT: なかやましんへい}} [[カテゴリ:人物/歌手・ミュージシャン]] 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) このページで使用されているテンプレート: テンプレート:Infobox (編集) テンプレート:Infobox/行 (編集) テンプレート:人物 (編集)