ログインなしで、このまま編集できます。編集の記録には、名前の代わりに「IPアドレス」(ネット回線の番号のようなもの)が残ります。名前で記録したい方はログインまたはアカウント作成へ。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!{{人物 | 罫線色 = #00695C | 背景色 = #0E332E | 文字色 = #FFFFFF | 名前 = 中村地平 | 外国語表記 = なかむら ちへい | 画像 = | 画像説明 = | 本名 = 中村治兵衛 | 別名 = | 生年 = 1908 | 生月 = 2 | 生日 = 7 | 死亡年 = 1963 | 死亡月 = 2 | 死亡日 = 26 | 出身地 = 宮崎県宮崎市淀川町 | 国籍 = 日本 | 家族 = | 学歴 = 東京帝国大学文学部美術史科 | 職業 = 小説家 | 肩書 = 「南方文学」の旗手 | 活動期間 = 昭和期 | 代表的な実績 = 「霧の蕃社」「蕃界の女」など台湾・南方物 | 受賞 = | 関連活動 = | その他 = 井伏門下三羽烏のひとり }} == 概要 == '''中村地平'''(なかむら ちへい、1908-1963)は、宮崎県出身の[[小説家]]。台湾や南方の風土を題材にした「'''南方文学'''」の旗手として知られる。本名は中村治兵衛。 [[井伏鱒二]]に師事し、[[太宰治]]・小山祐士とともに「'''井伏門下の三羽烏'''」と呼ばれた一人。南国への憧れを文学に昇華させた、ちょっと異色のロマンチストである。 == 南方への憧れ == 1908年(明治41年)、宮崎市淀川町の裕福な商家に生まれた。旧制宮崎中学校時代に[[佐藤春夫]]の台湾小説を読んで南方の風土に憧れ、なんと進学先まで台湾へ。1930年に台北高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部美術史科に進んだ。 学生時代の1932年、「熱帯柳の種子」を文芸誌『作品』に発表して文壇にデビューした。 == 井伏門下の三羽烏 == やがて[[井伏鱒二]]に師事し、[[太宰治]]・小山祐士とともに「'''井伏門下の三羽烏'''」と並び称された。太宰とは盟友同士で、昭和文壇の濃密な人間関係のなかにいた。[[今官一]]や[[木山捷平]]、[[山岸外史]]らとも交流があった。 == 南方文学の旗手 == 自らが憧れた南方の風土に取材し、「'''南方文学'''」を提唱。1937年の「土竜どんもぽっくり」、1938年の「南方郵信」が芥川賞候補となり、台湾を舞台にした「蕃界の女」「霧の蕃社」などで「南方文学の旗手」として注目された。台湾の自然と原住民社会を見つめたその作品群は、近年あらためて多様性の文学として光が当てられている。 == 郷里宮崎で == 戦後は郷里・宮崎に戻り、宮崎県立図書館長や宮崎相互銀行(現・宮崎太陽銀行)社長を務めた。作家でありながら地域の文化・経済を支える顔も持っていたわけである。 == 余談 == * 近年、中村地平の生涯を追ったドキュメンタリー映画が制作され、「多様性の人」として再評価が進んでいるらしい。 * 同じ南方志向の先輩格にあたる[[佐藤春夫]]の影響は、地平の文学的出発点そのものだった。 == 関連項目 == * [[井伏鱒二]] - 師 * [[太宰治]] - 三羽烏の盟友 * [[佐藤春夫]] - 南方文学の先達 * [[檀一雄]] * [[今官一]] * [[木山捷平]] * [[山岸外史]] == 外部リンク == * [https://ja.wikipedia.org/wiki/中村地平 ウィキペディア「中村地平」] [[Category:人物]] [[Category:小説家]] [[Category:作家]] {{DEFAULTSORT: なかむらしへい}} [[カテゴリ:作品・エンタメ]] [[カテゴリ:人物/作家・クリエイター]] 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) このページで使用されているテンプレート: テンプレート:Infobox (編集) テンプレート:Infobox/行 (編集) テンプレート:人物 (編集)