ログインなしで、このまま編集できます。編集の記録には、名前の代わりに「IPアドレス」(ネット回線の番号のようなもの)が残ります。名前で記録したい方はログインまたはアカウント作成へ。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!{{人物 | 罫線色 = #5D6D7E | 背景色 = #1B2631 | 文字色 = #FFFFFF | 名前 = 小杉放菴 | 外国語表記 = こすぎ ほうあん | 画像 = [[ファイル:小杉放菴.jpg]] | 本名 = 小杉国太郎 | 別名 = 小杉未醒 | 生年 = 1881 | 死亡年 = 1964 | 出身地 = 栃木県日光 | 国籍 = 日本 | 職業 = 洋画家・日本画家 | 肩書 = 春陽会創立会員 | 活動期間 = 1900年代〜1960年代 | 代表的な実績 = 東京大学安田講堂壁画、《水郷》《神橋》 | 関連活動 = 日本美術院・春陽会 }} == 概要 == '''小杉放菴'''(こすぎ ほうあん、1881年 - 1964年)は、[[栃木県]]日光生まれの[[洋画家]]・[[日本画家]]。本名は国太郎。若い頃は「未醒(みせい)」と号して洋画・漫画・挿絵で活躍し、晩年は「放菴」と号して水墨淡彩の枯淡な日本画に到達した。「日光生まれの仙人画家」とも称される、洋から和へ越境した画人らしい。 == 不同舎から従軍画家へ == 日光在住の洋画家・五百城文哉に学んだのち上京し、[[小山正太郎]]が主宰する画塾・不同舎で本格的に洋画を修めた。「未醒」と号し、日露戦争には雑誌特派員(従軍画家)として渡った。帰国後は文部省美術展覧会(文展)で二度も最高賞を受けるなど頭角を現し、漫画家・挿絵画家としても人気を博した。 == 日本美術院と春陽会 == [[横山大観]]と親しくなったことが縁で、1914年の日本美術院再興時には同人として参加し、洋画部を牽引した。やがて洋画部が解散すると、仲間とともに新たに在野団体・春陽会を結成。1923年頃から雅号を「放庵」(後に「放菴」)と改め、次第に水墨と淡彩による日本画へと関心を深めていった。 == 代表作と日光美術館 == 代表作に、東京大学・安田講堂の大壁画、東京国立近代美術館所蔵の《水郷》、故郷日光をモチーフにした《神橋》《飲馬》などがある。戦後は新潟県赤倉の山荘で世俗を離れた余生を送った。1997年、故郷の日光に「小杉放菴記念日光美術館」が開館している。 == 余談 == * 洋画家から出発して晩年に日本画の枯淡境に至るという画歴は、同郷・同時代の[[津田青楓]]とも重なるところがある。 * 詩歌もよくし、「放菴」の号には脱俗・無為自然の心境がにじむ。 == 関連項目 == * [[小山正太郎]] - 不同舎の師。 * [[横山大観]] - 日本美術院再興の盟友。 * [[吉田博]] - 同じ不同舎門下の洋画家。 * [[満谷国四郎]] - 不同舎・太平洋画会の同門。 * [[岡倉天心]] - 日本美術院を率いた指導者。 == 外部リンク == * [https://ja.wikipedia.org/wiki/小杉放庵 ウィキペディア「小杉放庵」] [[Category:画家]] [[Category:洋画家]] [[Category:日本画家]] {{DEFAULTSORT: こすきほう菴}} [[カテゴリ:人物]] [[カテゴリ:人物/作家・クリエイター]] 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) このページで使用されているテンプレート: テンプレート:Infobox (編集) テンプレート:Infobox/行 (編集) テンプレート:人物 (編集)