警告: このページの古い版を編集しています。 公開すると、この版以降になされた変更がすべて失われます。ログインなしで、このまま編集できます。編集の記録には、名前の代わりに「IPアドレス」(ネット回線の番号のようなもの)が残ります。名前で記録したい方はログインまたはアカウント作成へ。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!{{人物 | 背景色 = #1F2A38 | 文字色 = #FFFFFF | 罫線色 = #6FB3B8 | 名前 = 小山祐士 | 外国語表記 = Koyama Yūshi | 生年 = 1906 | 生月 = 3 | 生日 = 29 | 死亡年 = 1982 | 死亡月 = 6 | 死亡日 = 10 | 出身地 = 広島県福山市 | 国籍 = 日本 | 学歴 = 慶應義塾大学法学部 | 職業 = 劇作家 | 活動期間 = 1930年代〜1980年代 | 代表的な実績 = 「二人だけの舞踏会」「泰山木の木の下で」。岸田演劇賞・毎日演劇賞 }} == 概要 == '''小山祐士'''(こやま ゆうし、1906〜1982)は、昭和を代表する[[劇作家]]の一人。瀬戸内・福山の方言を生かした'''詩情あふれる戯曲'''で知られ、原爆の傷あとを静かに見つめた作品も多く残した。新劇の世界で長く活躍し、岸田演劇賞・毎日演劇賞・芸術選奨など主要な賞を総なめにした実力派である。同郷の文豪[[井伏鱒二]]に導かれて劇作の道に入った縁も興味深い。 == チェーホフに撃たれて == 広島県福山市に生まれた小山は、[[慶應義塾大学]]法学部に進む。劇作家を志すきっかけは、在学中の1925年に築地小劇場で観た'''チェーホフ『三人姉妹』'''だった。舞台の力に打ちのめされた小山は、法学部の学生でありながら演劇にのめり込んでいく。慶応劇研究会に所属し、新劇運動の父・小山内薫に私淑した。 == 井伏鱒二と岸田國士 == 小山の進路を決定づけたのが、'''同郷の先輩[[井伏鱒二]]'''である。井伏の紹介で劇作家・岸田國士に師事することができ、小山は本格的に戯曲の修業を積んだ。さらに久保田万太郎にも教えを受けている。1932年には菅原卓らと同人誌'''『戯作』'''を創刊し、新進劇作家として歩み出した。井伏門下の縁は[[中村地平]]ら同郷・周辺の文学者ともつながっている。 == 方言が奏でる詩 == 小山の戯曲の最大の魅力は、'''福山地方の柔らかな方言'''だ。出世作『瀬戸内海の子供ら』では、瀬戸内の素朴な暮らしと子どもたちの世界を方言の温もりで描き、演劇界に新風を吹き込んだ。標準語一辺倒だった新劇に「土地の言葉の詩情」を持ち込んだのは画期的だった。 == 原爆と向き合う == 郷里・広島の出身である小山は、'''原爆の傷あと'''というテーマにも正面から取り組んだ。代表作'''『二人だけの舞踏会』'''で岸田演劇賞、'''『蟹の町』'''で毎日演劇賞を受賞。さらに被爆者の心を描いた'''『泰山木の木の下で』'''や『日本の幽霊』など、戦後社会の痛みを静かに掬い取る名作を次々と発表した。1969年には芸術選奨文部大臣賞を受けている。声高に叫ぶのではなく、'''詩情と方言でそっと差し出す'''のが小山の流儀だった。 == 余談 == * 法学部出身というのは劇作家としては異色の経歴。だが論理的な構成力は作劇に生きたのかもしれない。 * 故郷の福山市には小山祐士の資料を伝える文学施設があり、その業績が顕彰されている。 == 関連項目 == * [[井伏鱒二]] * [[中村地平]] * [[太宰治]] * [[今官一]] * [[木山捷平]] * [[山岸外史]] * [[MissAV]] * [[丸の内OLレイナ]] * [[稲垣莉生]] [[Category:劇作家]] [[Category:人物]] [[Category:文学]] {{DEFAULTSORT: こやまゆうし}} 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) このページで使用されているテンプレート: テンプレート:Infobox (編集) テンプレート:Infobox/行 (編集) テンプレート:人物 (編集)