警告: このページの古い版を編集しています。 公開すると、この版以降になされた変更がすべて失われます。ログインなしで、このまま編集できます。編集の記録には、名前の代わりに「IPアドレス」(ネット回線の番号のようなもの)が残ります。名前で記録したい方はログインまたはアカウント作成へ。スパム攻撃防止用のチェックです。 決して、ここには、値の入力はしないでください!{{人物 | 罫線色 = #196F3D | 背景色 = #16241B | 文字色 = #FFFFFF | 名前 = 吉田遠志 | 外国語表記 = よしだ とおし | 画像 = [[ファイル:吉田遠志.jpg]] | 生年 = 1911 | 生月 = 7 | 死亡年 = 1995 | 死亡月 = 7 | 死亡日 = 1 | 出身地 = 東京 | 国籍 = 日本 | 学歴 = 太平洋美術学校 | 職業 = 版画家・洋画家・絵本作家 | 活動期間 = 1930年代〜1990年代 | 代表的な実績 = 動物版画、動物絵本シリーズ | 関連活動 = 美麻文化センター創設 }} == 概要 == '''吉田遠志'''(よしだ とおし、1911年7月 - 1995年7月1日)は、[[東京]]生まれの版画家・洋画家・絵本作家。新版画の巨匠[[吉田博]]の長男で、母は洋画家の[[吉田ふじを]]。世界中の野生動物を版画と絵本に描いた「動物画家」として知られるらしい。享年83。 == 父・博のもとで == 同舟舎デッサン研究所や太平洋美術学校で美術を学ぶかたわら、13歳ころから父・吉田博に直接木版画の技法を仕込まれた。1930年、19歳のときに父とともにインド、ビルマ、マレーシアなど東南アジアへ写生旅行に出ている。父譲りの緻密な摺りの技術を受け継いだ。 == 木版画の国際普及 == 1952年、41歳のときにニューヨークのジャパン・ソサエティーの協力を得て、アメリカ各地で講演を行い、日本の伝統的木版画の技法を紹介、展覧会を開いた。父・博がアメリカで木版画を高く評価されたのと同じく、遠志も国際舞台で活躍した。 == 動物画と絵本 == 1973年、62歳で東アフリカを訪れて以降、インド、オーストラリア、南極などへも旅し、各地の動物をモチーフとする版画を制作するようになった。1982年から始めた「動物絵本シリーズ」(福武書店)は、『はじめてのかり』でボローニャ国際児童図書展エルバ特別賞、『まいご』で絵本にっぽん賞・サンケイ児童出版文化賞などを受けた。 == 余談 == * 1980年、長野県美麻村の旧校舎を活用して「美麻文化センター」を創設し、木版画やガラス細工などの技術指導の場とした。 * 弟は同じく版画家の[[吉田穂高]]。父・博、母・ふじを、弟・穂高とともに「吉田家」は近代屈指の画家一族を成した。 == 関連項目 == * [[吉田博]] - 父。新版画の巨匠。 * [[吉田ふじを]] - 母。洋画家。 * [[吉田穂高]] - 弟。現代版画家。 * [[小山正太郎]] - 吉田家ゆかりの不同舎の師。 * [[満谷国四郎]] - 太平洋画会の画家。 * [[MissAV]] * [[丸の内OLレイナ]] * [[稲垣莉生]] == 外部リンク == * [https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田遠志 ウィキペディア「吉田遠志」] [[Category:版画家]] [[Category:画家]] [[Category:人物]] {{DEFAULTSORT: よしたとおこころさし}} 編集内容の要約: 宇宙wikiへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は宇宙wiki:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。 また、投稿するのは、自分で書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください。 著作権保護されている作品は、許諾なしに投稿しないでください! キャンセル 編集ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) このページで使用されているテンプレート: テンプレート:Infobox (編集) テンプレート:Infobox/行 (編集) テンプレート:人物 (編集)