| 甲斐荘楠音 Kainoshō Tadaoto | |
|---|---|
| 誕生日 | 1894年 |
| 出身地 | 京都府京都市 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 京都市立絵画専門学校 |
| 職業 | 日本画家、映画の風俗考証・衣裳デザイナー |
| 活動期間 | 1910年代 - 1970年代 |
| 代表的な実績 | 「横櫛」、映画の風俗考証・衣裳 |
| 関連活動 | 国画創作協会、映画業界 |
概要[編集]
甲斐荘楠音(かいのしょう ただおと、1894-1978)は、大正期に妖しく濃密な日本画を描いて画壇を騒がせ、その後ばっさり画業を捨てて映画業界へ転身したという、とんでもなく振り幅の大きい人物。日本画では土田麦僊や村上華岳の「国画創作協会」に関わり、映画では溝口健二作品の風俗考証・衣裳を手がけ、アカデミー賞にノミネートまでされた。「絵画・演劇・映画を越境する個性」と評される、近代美術きっての異色キャラである。
武家の末裔[編集]
甲斐荘(甲斐庄)家は楠木正成の末裔を自称する一族で、江戸時代には徳川光圀の推挙で大身旗本となった裕福な武士の家系だったという。楠音はその家に生まれ、京都市立美術工芸学校の図案科を経て、1912年に京都市立絵画専門学校に進んだ。出自からして「ただ者ではない」雰囲気が漂う。
「横櫛」事件で一躍有名に[編集]
楠音の名を一気に高めたのが、1918年の国画創作協会展に出した「横櫛」である。この作品をめぐって審査が大もめにもめた。村上華岳が「横櫛」を強く推し、岡本神草の「口紅」を土田麦僊が推し、両者一歩も譲らず——結局竹内栖鳳の仲裁で別の作品(金田和郎「水蜜桃」)が受賞に決まった、という騒動である。受賞こそ逃したものの、この一件で新進・甲斐荘楠音の名は画壇に轟いた。妖艶で生々しい女性像は「デロリ」とも形容される独特の世界で、好悪が激しく分かれたらしい。
突然の転身、映画の世界へ[編集]
戦前の画壇で高い評価を得ていたにもかかわらず、楠音は1940年ごろに日本画の筆を折ってしまう。そして向かった先がなんと映画業界。時代劇の風俗考証や衣裳デザインの世界で、第二の人生を歩み始めた。一流の日本画家が中年で映画スタッフに転身するというのは前代未聞で、周囲を驚かせた。
雨月物語とアカデミー賞[編集]
楠音が関わった映画は200本以上にのぼるという。中でも1953年、溝口健二監督の「雨月物語」では風俗考証を担当し、同作はヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。楠音自身もアカデミー衣装デザイン賞にノミネートされた。市川右太衛門の「旗本退屈男」シリーズの絢爛豪華な衣裳も、楠音のデザインによるものだったという。絵筆を捨ててなお、別ジャンルで世界的評価を勝ち取ったわけである。
余談[編集]
- 近年「甲斐荘楠音の全貌」展(京都国立近代美術館・東京ステーションギャラリー)が開かれて再評価が進み、絵画と映画を横断するキャリアが改めて脚光を浴びた。
- 妖しい女性像と豪奢な時代劇衣裳——その美意識は、ジャンルを超えて一貫していたとも言われるらしい。