概要[編集]
ヒューマンドラマとは、事件の解決や超常的な出来事ではなく、登場人物の心情や人間関係の変化そのものを主題に据えた作品を指すジャンル区分である。ドラマ・映画・アニメの作品分類で広く使われる和製英語で、英語圏で同じ意味の語として通用するわけではない。
詳細[編集]
この語が指すのは、厳密には題材ではなく「何に紙幅を割くか」という配分の問題である。同じ病院を舞台にしても、治療の成否を軸に進めば医療ものになり、患者と医師の関係の変化を軸に進めばヒューマンドラマになる。舞台や職業は区分の決め手にならない。
したがってヒューマンドラマは、他のジャンルと排他的な関係にない。刑事ものでありヒューマンドラマでもある作品、ファンタジーでありヒューマンドラマでもある作品は数多く存在する。作品データベースのジャンル欄で他の語と併記されることが多いのはこのためである。
構造的な特徴として、外部からの大きな解決が用意されないという点がある。事件が解決しても人間関係は残り、病気が治っても関係の傷は消えない。物語の終わりが問題の消滅と一致しない、という点が他ジャンルとの最大の違いである。
作品分類としての用法[編集]
配信サービスや出版社が付与するジャンルタグとしての「ヒューマンドラマ」は、しばしば「分類しづらい作品の受け皿」として機能している。アクションでもホラーでも恋愛でもない、しかし現代を舞台にした真面目な作品、という消去法で振り分けられる例が少なくない。
このため同じラベルの中に、社会派の重い作品と、日常を淡々と描く穏やかな作品が同居する。利用者が同じ棚から正反対の読後感の作品を引き当てることになり、ジャンル区分としての精度は高くない。
近年は「感動」「泣ける」といった感情の方向を示すタグが併用されることで、この粗さが補われている。
日本における展開[編集]
日本のテレビドラマでは、1970年代から1980年代にかけて家族を題材にした連続ドラマが定番の枠を占めていた。NHKの連続テレビ小説は、朝の時間帯に長期間放送するという形式そのものが、事件ではなく人物の変化を追う構成を要求するため、このジャンルの典型例とされる。
1990年代以降は職業を背景にした群像劇が増え、舞台設定は多様化したが、人間関係を主軸に置く構成は保たれた。
アニメでは、日常を描く作品の層が厚いことが特徴である。大きな事件が起きないこと自体を売りにする作品群が商業的に成立しているのは日本の特徴で、海外の視聴者からも独自のジャンルとして認識されている。
漫画でも、青年誌を中心に人間関係の機微を扱う作品が長く支持されてきた。週刊連載という形式が、一話ごとの小さな感情の変化を積み上げる構成と噛み合ったためだと説明されることが多い。
余談[編集]
「ヒューマン」という語が付いているのは、動物や機械ではなく人間を描くという意味ではなく、派手な出来事ではなく人間そのものを見せるという含みである。この語感は日本語の文脈でしか通じないため、海外向けに作品を紹介する際はdramaやslice of lifeに置き換えられる。
作品の宣伝文句としての「ヒューマンドラマ」は、制作側が「派手さはないが中身はある」と言いたいときに使われる傾向がある。そのため、この語が前面に出ている作品はアクションや事件性が薄いと受け手に予測され、集客の面では諸刃の剣になるという指摘もある。