| 勅使河原蒼風 Sofu Teshigahara | |
|---|---|
| ファイル:勅使河原蒼風.jpg | |
| 誕生日 | 1900年12月17日 |
| 死亡日 | 1979年9月5日 |
| 死亡年齢 | 78歳 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | いけばな作家、芸術家 |
| 肩書 | 草月流初代家元 |
| 活動期間 | 1927年 - 1979年 |
| 代表的な実績 | 草月流の創流、いけばなの前衛化 |
| 受賞 | フランス芸術文化勲章、レジオンドヌール勲章、芸術選奨 |
| あだ名 | 花のピカソ |
概要[編集]
勅使河原蒼風(てしがわら そうふう、本名・鉀一、1900年12月17日 - 1979年9月5日)は、いけばな草月流の創始者であり、いけばなを現代芸術の域へと押し上げた革新者。型を否定し自由ないけばなを唱えたために当初は異端扱いされたが、やがて「花のピカソ」と国際的に讃えられた。映画監督・勅使河原宏の父であり、勅使河原家は四代にわたっていけばなの家元を継いでいるらしい。
草月流の創流[編集]
華道家・勅使河原久次(初代和風)の長男として大阪に生まれる。父のもとで古典いけばなを学んだが、既存の華道が重んじる「型」に飽き足らず、1927年に独立して草月流を創流した。「草月」の名は、勅使河原家の家紋「根笹に三日月」に由来する。1928年には東京・銀座の千疋屋で第1回草月流花展を開催。廃物を花器に使った庶民的な生け花を発表するなど、当初から既成概念を破る作風で注目を集めた。
花のピカソ[編集]
蒼風のいけばなは、花や枝だけでなく流木・鉄・石なども素材とする自由奔放なもので、「いけばなは生きている彫刻である」と提言した。1955年のパリ個展が大成功を収め、フランスの『フィガロ』や米『タイム』誌が「花のピカソ」と讃えた。1957年には来日した前衛芸術の評論家ミシェル・タピエが蒼風作品を絶賛し世界に紹介。1959年のバルセロナ個展に感激したサルバドール・ダリは蒼風を自宅に招き、流木のオブジェを制作しながら談笑したという。1966年にはミロ夫妻も草月会館を訪れた。
世界のソウフウ[編集]
戦後はマッカーサー元帥夫人をはじめ米軍将校夫人にいけばなを指導し、1952年のニューヨーク個展を皮切りに世界各国で展覧会やデモンストレーションを精力的に行った。観客を前に作品の背後から手探りで生けていく「後ろいけ」は草月流特有のパフォーマンスである。1960年にフランス芸術文化勲章、1961年にレジオンドヌール勲章、1962年に芸術選奨を受賞。いけばなにとどまらず彫刻・書・絵画など創作媒体を広げた、まさに「総合芸術家」だった。
余談[編集]
- 草月会館は丹下健三設計の名建築として知られ、前衛芸術の拠点となった。
- 二代目家元は娘の勅使河原霞、三代目が長男の映画監督・勅使河原宏、四代目が孫の勅使河原茜と、家元を一族で継承している。
- 同時代の前衛芸術家・岡本太郎とも、既成概念に挑む精神において響き合う存在だった。