| 安室奈美恵 Namie Amuro | |
|---|---|
| 誕生日 | 1977年9月20日 |
| 年齢 | 49歳 |
| 出身地 | 沖縄県那覇市 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 歌手 |
| 活動期間 | 1992年 - 2018年 |
| 話す | スレッドを立てる › |
概要[編集]
安室奈美恵(あむろ なみえ、1977年9月20日 - )とは、沖縄県那覇市出身の歌手で、1990年代から2018年の引退まで日本のJ-POPを代表し続けた人物である。ダンスと歌を同時に成立させるスタイルを日本のアイドル像の外側に打ち立て、「平成の歌姫」と呼ばれた。
詳細[編集]
安室奈美恵を語るうえで外せないのが、沖縄アクターズスクールという出発点である。小学5年生のころに特待生として入校した彼女は、当初は女優志望だったと伝えられる。方向が変わった決定打として本人が挙げているのが、ジャネット・ジャクソンのミュージックビデオを見たときの衝撃だった。歌いながら踊る、踊りながら歌う——日本の当時のアイドルの枠組みには収まらない表現がそこにあった。以後、彼女はレッスンにのめり込んでいく。
デビューは1992年9月16日、SUPER MONKEY'Sの1stシングル「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」による。当時14歳、中学3年生。沖縄アクターズスクールで鍛えられた歌唱とキレのあるダンスは、その時点で既に一般的なアイドルグループの水準から外れていたと評される。
グループは「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」へと名義を変え、1996年のツアーをもってこの体制での活動を休止する。ここから安室はソロへ、他のメンバーはMAXへと分かれ、それぞれの道を歩むことになった。
歌手としてのスタイル[編集]
安室奈美恵の何が新しかったのかを一言でいえば、「踊れる歌手」という職能を日本のメインストリームに置いたことである。それまで、激しく踊るパフォーマーと歌唱を聴かせる歌手は、音楽の市場ではだいたい別の枠に分けられていた。安室はその二つを分けずに提示し、しかも両方で商業的に最大級の成果を出した。
これが後続に与えた影響は大きい。沖縄アクターズスクールから同時期に出てきたSPEED (音楽グループ)やDA PUMP、三浦大知といった面々はもちろん、以後のダンス&ボーカルという編成そのものが、日本で「普通の選択肢」になっていった。
ファッション面での影響も見逃せない。細眉、厚底ブーツ、ミニスカートといった1990年代後半の若い女性の装いが、安室のスタイルを起点に広がったことは当時から広く語られ、「アムラー」という語が定着した。雑誌やテレビが追いかけただけでなく、街の側が自発的に真似した点が特徴的である。
引退[編集]
2017年9月20日、40歳の誕生日に安室は引退を発表する。そして2018年9月16日をもって芸能活動を終えた。この日付が意味するところは大きい——SUPER MONKEY'Sでデビューしたのが1992年9月16日であり、引退日はデビューからちょうど26年後の同月同日だった。
引退の当日、かつてのメンバーたちがSNSやブログを通じて感謝のメッセージを送ったことが報じられている。引退後、安室は表舞台に出る活動を行っておらず、この「完全に退く」という態度の徹底ぶりも、彼女の引き際として語られ続けている。
よくある質問[編集]
引退日はいつか[編集]
2018年9月16日である。1992年9月16日のSUPER MONKEY'Sデビューから数えて26年後の同じ日にあたる。
デビューはソロかグループか[編集]
グループである。1992年にSUPER MONKEY'Sの一員としてデビューし、のちに「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」を経てソロへ移行した。
「アムラー」とは何か[編集]
1990年代後半、安室のファッションを真似た若い女性を指した呼び方。細眉・厚底ブーツ・ミニスカート・茶髪といった要素がセットで語られた。
引退後に復帰する可能性はあるのか[編集]
本人からの復帰表明は確認されていない。2026年時点で表舞台での活動は行われていない。
余談[編集]
- デビュー日(1992年9月16日)と引退日(2018年9月16日)が同じ9月16日であることは、引退発表後に広く指摘された。誕生日の9月20日に引退を発表し、デビュー記念日に活動を終える、という日付の揃え方になっている。
- 出身地の沖縄では引退後も記念的な催しが行われたと報じられており、県内での存在感は活動終了後も続いている。
- 沖縄アクターズスクールの出身者が1990年代後半に立て続けに全国区へ出たため、当時のメディアでは「沖縄から次々に」という文脈で語られることが多かった。もっともこれは偶然ではなく、同じスクールが同じ方法論で同時期に鍛えた結果という側面が大きい。
- 入校当初は女優志望だったという逸話は本人の発言として繰り返し紹介されている。もし方向転換がなければ、1990年代のドラマの記憶はかなり違うものになっていたかもしれない。